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脱ー演技のドラマツルギー

解体社 檜枝岐公演『遊行の景色』に触れて

鴻 英良


 密室の暗闇で、悔恨のような回想を舞台化していた劇団解体社が、福島県の檜枝岐村の河原で行われたパフォーマンス・フェスティバルで『遊行の景色』という公演を打った。驚いたことに、この公演の評判が大変に良かった。そのこと自体は大変めでたいことかもしれないが、いや、それ故にと言うべきか、この公演は、演劇にとってはかなり複雑な問題を投げかけているように思える。

 実は、彼らのしたことと言えば、河原の上流から、何やら奇怪な風体をして現れ、河原で何やら訳の分からないこと〈一説によると、彼らは古代の測量技師だったという〉をしていたかと思うと、しばらくして、河の水に流されて、下流に消えてしまっただけなのである。

 彼らが最初に目撃されたのは、夕暮れもせまった頃のことだった。豪雨が去ってしばらくした頃、パフォーマンス会場の遙か上流を渡って、林のなかに消えていった人びとがいるといった噂が飛びかいはじめた。やがて流木や枯木のために異様な雰囲気を漂わせている林のなかを、何やら背にかついで藪をかき分けて進んでいく人びとが見えかくれしはじめた。こうした人びとを見ながら、多くの人びとが不思議と劇的な感動に襲われたと告白しているのだからことは重大である。つまり、演技らしいものが一切ないのに多くの人がそこにドラマをみたのである。

 演技らしいものを過剰に積みかさねても、必ずしも芝居らしくならないことが多いのに、演技などせずに、林のなかを移動しただけの彼らが、何故、誉められなければならないのか、というわけで、その直後、解体社を妬むものたちが、演技とは何かを巡って議論を始めたのは言うまでもない。そして、多くのものは、われわれは錯覚しただけなのだと結論づけて胸を撫でおろしたのであった。

 解体社の役者がそこを通り過ぎる以前から、河原の向こう岸の林は美くしかった、とあるものが言った。そこを役者らしきものが通り過ぎたため、われわれは、改めて、幾分か風変わりなその林の姿に目を向け、ああ、いいな、と思い、その感動をついうっかりと解体社のパフォーマンスに結びつけてしまったのだ、と結論づけたのである。

 解体社のパフォーマンスが目を引いたのは、彼らが風変わりな景色のなかで、異形の姿をさらしながら現れ、われわれに近づいてきたからであることに間違いはない。しかしこの空間は、多くのパフォーマーたちの行為によって、一種の定住空間となろうとしていた。河原は、定住のメタファーになろうとしていたのである。そこに、他界からの使者のように、解体社の集団が現れたのである。そのことで、つまり、まれびとの訪れのなかで、風景が蘇ったのだとすれば、解体社はその演技によって、自然の異化に成功したのだと言えるはずである。

 けれども、問題はさらに複雑だった。彼らは近づいてきて、対岸に姿を現すと、河を渡りはじめたが、そのとき、河を渡るという〈遊行〉の演技の形態が解体しはじめたからである。先ほどの豪雨で水嵩を増し、急流と変わった水の流れに足を取られるものがいたりして、この渡河は難行をきわめた。もはやそこにあるのは、演技ではなく、渡り切るという現実だった。林のなかを見えかくれしていたときの自然な状態が、あくまでも、遊行という一種の演技でありえたとすれば、この渡河は、もはや、演技とは言えない状態である。前ー演技と言うべきか、それとも、後ー演技と言うべきか、このとき彼らの演技が脱ー演技状態に入り込みはじめたことは確かである。つまり、『遊行の景色』のなかで、彼らは、虚構性の少ない演技からはじめて、脱ー演技状態へと徐々に向かいはじめていたのだ。

 急流を渡るということを遊行の演技のなかに組み込もうとしたとき、彼らの行為は、虚構としての演技の反復でも、単なる日常でもないところに踏み込んだのである。つまり、彼らは、固定した日常からも、固定した虚構からも微妙にずれたところで、何ものかを演じようとしていたのだ。これは、現実と虚構の境界が不明瞭になったところでの、現実のメタモルフォゼスであり、彼らは、現実を新しい相貌のうちに出現させるための媒介者になり始めていたのである。

 最近、清水信臣は〈媒介としての身体〉ということを良く口にする。その意味するところを私は良くは知らないが、演者の性格を曖昧化することが、そのなかで戦略的に試みられていることだけは確かである。

 密室の暗闇のなかで、じっとうずくまる役者にかすかな光が当てられたとき、そこに浮かびあがる存在感とは別の何かがなければならないと考えたとき、清水は、拡散的空間での脱ー演技状態がなおかつ劇的であるような可能性を模索しはじめたのだと思える。それを清水たちは〈媒介としての身体〉と呼び、新しい演劇を仮構しようとしているのである。『遊行の景色』はそうした試みの出発点になるに違いない。

 彼らの檜枝岐公演は、演技論の新しい展開が空間の未知の側面の発見を求めていることを、演劇において新しい空間が、いかに重要であるかを、改めて思い出させたと言えよう。 



Perfoming arts journal Jam 11.30/ 1985年