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日本ー対話と転移

Julia Hoczyk


何一つ変わらなかった。
川の流れる方向と
森と海岸と砂漠と氷河地帯の線を除いて。
それらの風景の間を精神はさまよい
消え、戻り、近づき、遠のき
自らをよそ者、捉えがたいと感じ
自分の存在を時に確かとも、時に不確かとも思う
そのあいだ肉体は存在し、存在し、存在し続け
そして身を置くべき場所もない。
ヴィスワヴァ・シンボルスカ 「拷問」(1)


Japonia: dialogi i transpozycje
XIX Spotkania Sztuki „Rozdroże” w Warszawie

第19回 国境を越えた美術と行動の出会い
「交差点(クロスロード)」フェスティバル
2012年10月23日~11月7日 ワルシャワ


国境を越えた美術と行動の出会い「交差点(クロスロード)」第19回は、ポーランド・日本をめぐる劇の第3幕でもあった。フェスティバルのスタートから上演されてきた日本の舞台は、ポーランドの観客に、単一の日本など存在しない――けっして存在しなかった――ことを証明してきた。それにもかかわらず、この3年間に上演されてきた作品の中には、共通のモチーフと交差点がたくさん発見される。ダンス・パフォーマンスから見えてくる日本像が描き出すのは、類稀な方法で近代が伝統と、新しい技術の跳躍的な進歩が生活のあらゆる側面を支配するものとしての自然への崇拝と、浸透しあう領域である。

1.

テアトル・シネマと劇団解体社が共同出演した夕べに付けられた、Posthuman theatreというタイトルによって、ポストヒューマニズムの風景が呼び出された。両グループの俳優たちは互いの芝居に招待しあった――「客演」しながら、俳優たちはおのれの独立した動きを提示する、または選ばれた場面で補足的な役柄を作り出す。共同プロジェクトの初演は日本で行われ、協働は一年以上に及ぶ。暗鬱で政治的な印象を与える劇団解体社の「最終生活」と、普遍化を志向して超現実主義的な「ホテル・デュ」(複雑な美術を放棄している点で、初演とかなり違っている)の衝突から、人間の性質、悪の起源と無意味さについての、思索を観る者に促す、暗鬱な暗いエッセイが生まれる。


解体社の上演「最終生活」は、日本前衛演劇の伝統(演出の清水信臣と彼のグループがその歴史の一部を作り上げてもいる)に連なるものだ。暗い演劇的イメージを配列し、テキストがそれを補う。清水は中心に、「インファント」(英語の乳児、新生児、子ども)と呼ばれる人物を置き、その者が芝居を開始終了させる――ダンスと、まるで目の前にある台の上で人類へのメッセージを書いているかのような身ぶりによって。過剰に照明が当てられた青年像(若い俳優)の中に、演出家は、贖罪、そして罪と悪の罠からの脱出の可能性を見ているかのようだ。彼を、いかなる言語も使わない「前人間」と見なしている。


舞台は、残酷さと向かい合う、悪夢のような場面にあふれている。私たちは例えば、次のような場面を観る――死刑を望む殺人者とのインタビュー(尋問かもしれない)、スクリーンに投影されるフロイトのテキスト「戦争神経症者の電気治療についての所見」(数人の人物のダンスは、電気ショックを与えられた身体の痙攣を思い出させる)、第二次世界大戦中に日本は人権を守らなかったということを述べている場面。劇の登場人物――男性と女性、少年と少女――は、舞台上を仮死状態にあるかのようにゆっくりと動き回る。まるで状況の変化への期待など抱いていないかのように。


シネマの俳優たちの同期化した運動だけが、無感情な動きを破壊する。例えば、チェルノブィリ事故後に、ヨウ素を与えて子どもたちを救おうとした試み(しかし、それは、ひどい副作用を引き起こした)を思い出させることによって。清水の劇の主要な登場人物の一つは、人間の身体だ――それは、いつも同じようにもろく、容易に操作・物象化・破壊を被る……。それを背景に、芝居の主要な、否定的主人公がたえず顔をのぞかせる――日本とその歴史的・文明的錯誤がそれで、そこからの脱出は極めて難しい。


身体とその動きは、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩「拷問」などにインスピレーションを受けて作られた「ホテル・デュ」の中心に据えられている。この舞台の主人公たちは、日常から隔絶し、抽象化した一連の行動を始める。それは、同時に行われることもあるし、理想的に同期していることもある。同期化と用いられている音楽作品(例えば、行進曲)は、ファシストの行進を連想させるかもしれないが、それが遊戯に随伴していること(例えば、椅子の遊び、手と足の場面)によって、牙を抜き取られている。ムンクの「叫び」のような(または、同題のキッチュなアメリカ映画のような)仮面をかぶった登場人物たちは、観る者を震え上がらせると同時に笑わせる。偽の決闘が不条理なダンスへと滑らかに移行する場面も同様だ。ここには、日本を、シニフィエ(意味されるもの)を奪われたシニフィアン(意味するもの)の無限の連続から成るテキスト、すなわち無意味な記号の王国として提示した、バルトの有名なエッセイ『表象の王国』の遠い谺を認めることができるかもしれない。


「ホテル・デュ」の主人公(とその身体)は、ふつうの機能を果たすのをやめてしまった物=記号たちの世界の中で迷子になってしまったかのようだ――意味するものが意味されるものから解放され、そのなかに狂ったような不合理な快楽を見出している。行動と物との相互関係の中で、人々は自分を見失う。それだけでなく、人間が物に変わる、世界における人間の存在が錨を失い、無意味で、あやふやになる。頭の上にのせた板がプロペラに変わり、地面に置いた板が危険な高さに伸びている線になる。人間の頭がそれを手に踊るシルクハットに変わり、背広やシャツは己れの生命を得て生きているように見える――その持ち主をダンスや決闘に仕向ける。物たちの抑圧的な命令とリズミカルな音楽に服従する身体は、たえず自分の動きを繰り返す――習得した身振りや運動(それは、軍事教練か意味を剥奪された日常のふるまいを思い出させる)のレパートリーの外に出られずに。そして、身体は、かつて発せられた命令を内面化してしまった道具に変わる。日本の俳優たちの滑らかなダンスだけが、時折、テアトル・シネマのヴィジョンの滑稽で恐ろしい反復と不条理を破る。



(Didaskalia誌 113/2013年に掲載の文章から関連部分を抜粋翻訳)
訳: 久山宏一


(1)ヴィスワヴァ・シンボルスカ(工藤幸雄訳)『橋の上の人たち』書肆山田、1997年、71頁。