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[対話] 演劇の生成と攻囲される身体

グローバリゼーションに抗して



鴻 英良 × 清水信臣

 第一部


鴻 今日は、演劇という表象の形式を考えるときに、何が問われているかというような、演劇をめぐるある種原理的な話をしたいですね。具体的に表象としてそれが問われるときに、どういう形式が成立しうるのかというような問題を、表現論として話すというのはどうですか。そのためには、まず九〇年代から二〇〇一年の今日までの十年ぐらいの間に、我々に何が見えてきて、何が見えにくくなってきたのかについて話さなければならないでしょう。つまり、演劇をやっている側も、批評する側も、九〇年代に入って何らかの発見をしていた、と私は思っているわけです。
たとえば、ポーランドの演出家タデウシュ・カントール(1915一1990)が、一九八八年に、「終わりが近づいてくるにつれて、明らかになってくるものがある」という発言をしています。カントール自身も自分の演劇の足跡がどういう意味を持っていたのかということを、八〇年代の終わりになって、より自覚的に意識するようになるわけです。そのころ、カントールは、七五年に『死の演劇宣言』を書いたときよりも遥かに明瞭に、「死の演劇」が二十世紀の戦争と密接に関係していたのだと意識するようになります。彼の演劇は「アウシュヴィッツ以降芸術は可能か」というアドルノ的な問いに対する応答であったわけですが、八〇年代終わりぐらいに、そのような自覚がいろいろな作家に起こりはじめる。
ところで、清水さんが、演劇的な方法において、いままでとは違った方向を模索しはじめるのが、八四、五年でしたね。


清水 ええ、八五年のヒノエマタ・パフォーマンスフェスティバルから始めた野外移動演劇ですね。「遊行の景色」と名づけた一連の作品からです。


鴻 ヒノエマタの野外で始めたわけですね。いままで密室劇をやっていた演出家が、野原や河原で演劇を試みはじめたのが、八五年ぐらいだったわけですが、それが何を意味するのかということは、よくわからないでやっていた部分も当然あるわけだけど、何回かやった経験もあると同時に、自分の演劇が変わっていったことの意味とかを改めて考えるということも含めて、八〇年代の終わりぐらいから、そこに一種歴史的意識みたいなものが働いていたのだということを、清水さんは自覚しはじめたのではないか、と私は思っています。
九〇年に入って、解体社が外国で公演する機会も増え、日本国内とは違った観客と出会い、違った空間というもので上演を始めることによって、そこでまた実際的な演劇の変化を経験する。そうした一連の動きのなかで、演出家として、何を考えていたのか、あるいは具体的にどういう問題に直面したのか、何か決定的に重要な経験をしたのか。自分の演出史のなかで、九〇年代というものが何であったのか。二〇〇一年のいま、それをどういうふうに想起するか。それが演劇にとって重要なことなのではないかと、私は思っているわけです。
これらに直接答える形でもいいし、ややずれてもいいんですけど、表現者として、この二十年、あるいは十五年ぐらいをどういうふうに見てきたのか。そして、その辺から、いま何をやろうとしているのかということを含めて、まず話していただけますか……。


 イメージの演劇と媒体としての身体


清水 そうですね、八〇年代ですか。いろいろな記憶が錯綜していて、話があちこち飛ぶかもしれませんが……。
「野外劇」を始めた理由は文字通り、ともかく「外」へ出たかったんですね。当時いわゆる小劇場演劇とよばれる同時代の演劇を客席に座って観るというのがどうにも辛かったというか、悔恨の回想やら共感の渦のなかに巻き込まれて、これらと同じ土俵でやっていてもどうしようもない、前へ進めないと思ったんです。なぜかというと我々の演劇も、とくに演技において彼ら小劇場演劇の担い手たちのそれと同じようなものでしたから。だったら、我々の演技がよって立つ諸々の条件とそれを成り立たせている上演スタイル自体を変えてしまうほかない。要するに、自分たちの「演技」を不可能にさせてしまおうと考えました。
普通、野外劇というと野外劇場での上演のことだと思うでしょうが、それでは単に劇場が屋内にあるか屋外にあるかの違いでしかない。私の構想した「野外劇」はまったく違うものでした。まず観客席も舞台もつくらない。白昼でもかまわない。観客も役者も上演空間を移動する。たとえば河原、公園、路上、駅、廃屋等の周辺一帯を観客とともにさまよいながら演劇的な事柄を見せていこうというものですが、まさにこの時期に「身体」の問題に遭遇したわけです。この広大で自由な拡散的状況のただなかでは演技することも踊りだすこともできない、つまり情念の噴出やら等身大の自然らしさといった従来の演技術はまったく通用しないんですね。そこで援用されたのが「イメージの演劇」と、これを身体論的に支える「オブジェとしての身体」もしくは「媒体としての身体」です。


  湾岸戦争と美学の終焉


つまり、ある風景なり空間のなかに限りなく異物としての身体を配置することによって、その身体を通して、通常私たちが見ていた風景なり空間およびさまざまな構成体がいつもと違って見える。たとえば駅に到着する列車、歩道橋を行き交う人々の歩み、走り去る車…見慣れているはずの光景が、上演の経過とともに新しく更新されていくような感じ、そのような「感覚の変容」の契機として身体を使う。当時はこのような手法にとても魅力を感じていまして、これを野外で、しかも移動しながら見せることによって、あるいはまたテクノロジー・アートなども用いながら、さらに増幅させようと目論んでいました。
私のこうした考え方を破産させたのが九一年に起こった湾岸戦争です。いままでのモチベーションのすべてが一挙に色褪せた、まあ破産状態ですね。そんなわけで、いったん引き籠もって、身体とそれを包囲する権力という問題系に取り組みました。とはいっても、当時、稽古場のあった川崎の倉庫でまる二年、公演も打たずに役者たちと「歩行」の稽古ばかりしていたというのが実際のところですが(笑)。

鴻 ある意味で、八〇年代のいわばイメージの演劇的な形で空間を変容させていくような身体の再配置の方法は美学的だったということなんですね。そしてそれが美学的なものだったのだと気づくきっかけが、あなたにとって湾岸戦争だったわけですね。

清水 政治性が薄いということですよね。というか政治性が表に出てくることができない背景なり支配的な言説があった。たとえば「グローバル・ビレッジ」とか、マクルーハン(1911一1980)ですね。均質化した世界でメディア・テクノロジーが人々の欲望を差異化していく。まさにイメージの演劇ですよね。身体、音楽、美術、多種多様なエスニシティの差異を、「トータルシアター」の概念の内部に収容し、イメージ消費を加速させるために常に新しい美学的配置が志向される。
湾岸戦争が明らかにしたことは、やろうと思えば、そういった欲望の差異化などというものはすべて一元化できるということです。「多様性」などと我々がよんでいたものは、剥き出しの権力が表に出ない限りにおいて肯定されているのであって、それがいったん発動・行使されたときには一挙に情報統制と危機管理でもって世界を同一性に塗り込めることが簡単にできてしまう。逆に言えば、だからこそ「イメージの演劇」は政治化できる可能性があるとも言える。
たとえば、これはあとで話題になるとは思いますが、イメージの演劇で使われる身体は、本来、いかなる目的も持っていないんです。主体が自己実現していくようなビジョンではない。身体は、あくまでも関係生成のための部品であり、媒体です。空間やオブジェ、あるいは単にそこにあるものとの関係性によって押し出されてくる身体性です。この関係自体を政治的に読み替える、権力関係として組み替えてゆく作業を通して「闘争の場としての身体」を提示していく。
そのようなことを考えながら九三年以降の「本郷DOK」での一連の上演に繋げていったわけですが。

鴻 なんで湾岸戦争で、そう思うようになったんですか? つまり、あの時代、九一年の湾岸戦争以外にも、八九年のベルリンの壁の崩壊とか、九三年のサラエボだとか、契機になるものはいくつかあったと思うのですが、「闘争の場の身体」が露出してくる、そういうふうに自覚される瞬間というのが人によって当然違うでしょうけど、それがあなたにとってなぜ湾岸戦争だったのか? いまマクルーハンという言葉が出てきたのに繋がるのかもしれないけど、なぜ湾岸戦争だったのかということ、その辺はどうなのですか?


  劇場は戦場である


清水 基本的に私は、演劇は「戦争」だと思ってるんですよ。まさに人間の身体が無差別に消費されるという意味において劇場は「戦場」なんです。 ところが湾岸戦争には身体がない。身体のない戦場が九〇年代の幕を開けたというのは演劇にとって衝撃ですよ。それが一つ。もう一つは、先程から話しているメディアによる世界化——テレビですよね。ものすごく大量に映像が流されました。もう誰も彼もがそのメディア・イメージのだたなかにまみれていて、もちろん私も、それまで頼りにしていた私だけの直感などとよんでいたものは消し飛んでしまった、というのが実感でした。

鴻 もちろん、それは「闘争の場としての身体」という言葉で接続しながら、常に演劇に関係しているわけだけど、もうちょっと脱線させてしまうと、湾岸戦争はメディア・テクノロジーに操作された戦争であるというイメージもある。あの当時話題になっていたいくつかの文献のなかで、ボードリアールの、『湾岸戦争は起こらなかった』がありますね。要するに、彼はハイパー・リアルな空間における闘争の形式として、湾岸戦争を捉えている。その方向で思考することがむしろメディアを制覇することになるのですが、そのことによって身体が失われていくというか、隠蔽されていくという構造が湾岸戦争の勝利の形態だったわけです。そのときに、実際には爆弾が落ちていたわけだし、あるいは油田は多国籍軍によって破壊されていた。あのときは完全な報道管制で、たとえば原油で黒まみれになった二匹の水鳥というのを我々は絶え間なく見せられていたのだけど、世界中の人たちは二匹しか見てないのに、あらゆる水鳥は真っ黒であると信じさせられたわけです。そういう操作のなかで、いわば見えなくされていたもの、隠蔽されたものを清水さんは見ていたということです。
そのような作業と、演出家であるということとの関係は、九〇年代の活動にとって、どういう意味を持っていたのかというのが、重要な問題だと思うんですが。さらに、ずらしてしまうと、そういう想像力を表象に接続させていこうとするときに、たとえば美術家であるとか、小説家であるとか、映画監督であるとか、演劇以外の表象の形式に関わるのではなく、ほかならぬ演劇という表象の形式に関わっていこうとすることは何を意味するのか。たとえば湾岸戦争に眼差しを向けることと、「闘争の場としての身体」というものに接近していくこととがどういうふうに関係しているのか。その点、清水さんはどのように考えていますか?

清水 やはりイマジネーション(想像力)ですよね。泥臭いようですが、とにかく想像力をいまいちど鍛え直さないと。画面を通して、あの砂漠に確かに隠されている、生き埋めにされているイラク兵の死体があるんです。それがいったい、どのような身体なのか、つまり、いかなる意味を持たされた死体なのか、ということに思いを馳せざるをえないわけです。どうしても私は身体にいくんですね。もちろん水鳥もなんですが、やはり身体、人間の身体です。
演劇史との関連で言えば、モダニズム以降、身体が何かの誰かのキャラクターを表現する器であることをやめて、フィジカルなものに——速度や線、角度、重量等に身体を還元していく。データ化していく。そのような果てに人間身体というものが数としてしか見えなくなる。数量です。遡れば第一次大戦だと思いますが。二十世紀の戦争が、身体を物量化する、数量化する、データ化するという、変換の技術を見いだし、その結実として、いまや数えることさえできなくなったイラク兵の砂漠のなかの死体があるんだ、まさに「亡き骸」としてある、というふうに私には思えたんです。

鴻 実際には見ていないわけですから、それは、想像力のなかでの無数の死体ですよね。そういうふうな場所に置かれている死体の状況、あるいは人間の状況と言い換えていいと思うんだけど、それを現実化していく。

清水 ええ。舞台化する。

鴻 舞台化していくときに、実際には役者が出てくるわけだから、肉体が登場してくる。その意味で言うと、舞台に現れてくる肉体というのは、イラク兵の無数の死体を背負って、舞台に登場するということですか? 

清水 いや、それは不可能ですよね。それは表象不可能です。ですから、当時、表象の問題を根底的に考えざるをえなかったということなんですが、単にこの事件について説明するとか、別の何かに置き換えて代行させるとかそういうことではない。それでは隠されている身体は現れてこない。私が考えたのは、ある行為のただなかに、つまり行為を遂行しているその最中に、特異な出来事が反復してくるのではないかと。

鴻 形態的に反復するということ?

清水 というか、むしろ形が初めにあるわけです。多分に渾沌とはしていますが…。一例ですが、たとえば私はある特定の写真、映画、絵画、テクストなどについて役者と話します。そこから形を創っていく。しかしこのままではまだ日常の、単なるジェスチュアにすぎない。どんなに言葉を注ぎ込んでみてもだめです。表象になるためには決定的な出来事がいる。

鴻 イラクで起こったことが?

清水 いや、そうではなくて。

鴻 どの出来事ですか?


  拘束系と身体の逸脱


清水 わかりやすい例で言うと、我々の「動き」の稽古で拘束系というのがある。文字通り、上半身をこうグッと押さえつけられる、拘束されるわけです。拘束される、離れる。また拘束される、また離れる。これを繰り返し稽古していたときに、ある一人の女優の身体が、異様な逸脱の仕方をしはじめたわけです。それは必ずそのシーンで起こる。特定の拘束系のシーンにおける彼女に限って起こる。稽古のあとで訊いてみたら、「私の最初の記憶は、母から文字を習ったということ。こう右手を添えられて手習いよね。けれど、どうしても書けなかった文字が『ま』っていう字だったの。すると母は怒って『ママのまの字だから絶対に書きなさい。許さない』と言って私のからだを押さえつけて……」
そんなふうに、たとえば三十年前に封印したはずの記憶がいまこの「動き」のなかで「反復」される。このような事態として表象というものを捉えられないか。イラク兵の死体の表象が不可能な以上、演技における「反復」の表象不可能性というもので拮抗できないか。そういう方法をとりはじめたように思います。

鴻 ということは、少なくとも、イラクで起こったことを表象するということはしていないわけですね?

清水 そうですね。不可能です。

鴻 でも、それについて考えてはいるわけですね?

清水 そもそも考えてなければ出てこない。

鴻 つまり、考えてはいるが、再現的な表象は不能だから、再現はしていない。問題は、それに拮抗する表象の形式、それは表象でもないわけか。表象の不可能性としての行為を具体化していくときに、表象の問題が現れる。

清水 その事が、まさにいま世界で起こっている出来事と反響し合わなければならない。

鴻 つまり、表象不可能性と関わる関わり方において、イラクにおける表象不可能性と関わるということですね?

清水 ええ。

鴻 結局、そういう試みをするためには、無数に展開されているそうした表象不可能な世界における出来事と関係をとっていかなければ、どうにもならない。


  表象不可能をどう表象するか


清水 繰り返しますが、それこそ想像力の問題です。何が起こっているのか、何が隠されたのか、どのような身体性が監禁されているのか、常に政治的な想像力を働かせていないといけない。心構えを言えば、何か自分だけ超越的なポジションにいて、理論やメソッドを構築したからこれで明日もやっていけるなどという時代ではないですよ。とくに外国をツアーするときは状況と密接に絡みながら、その都度、その場で、作品構成を組み替えていかないと、ある一定のこの作品がどうのっていうようなことではまったくないんです。作品の普遍性などはもはやない。たとえば、数年前のクロアチアでの体験ですが、走っている普通の自家用車のトランクから機関銃が飛び出しているような場所で表象不可能性をどう表象するか。紋切型に落ちない。難民がすぐ郊外の山にいるところでは、とくにそのぎりぎりのところで突破していかないと拮抗できない。


 グローバリゼーションが露出させるもの


鴻 そうなってくると、日本においてそれをやろうというときに、日本にはいわゆるザグレブ的な難民がいるわけではないので、我々は何に反応すべきなのかが問題になる。先程グローバリゼーションという言葉によって隠蔽されてくるものということを言っていたけれど、逆にグローバリゼーションによって露出してくるものもないわけではない。さまざまな問題は、多様な形で露出してきたり、隠蔽されたりしているわけです。グローバリゼーションというと均質化が問題にされることが多いが、逆に、そのことによって差異性が露出してくることもある。それにアーティストは答えなければならない。たとえば、シカゴ大学のアリウン・アパドゥライは、グローバリゼーションとシティ・カルチャーとの関係を問題にしていて、そこからトイレット問題という争点を抽出してきたりする。つまり、グローバリゼーションがボンベイという街で問題化させたのは、衛生システムとトイレット問題だというんです。ボンベイのスラムにおいて、トイレット問題は昔からあったにちがいないのだが、グローバリゼーションのなかで緊急な課題として浮上してくる。それはほとんど解決不能だけれど、だけど一つずつトイレットをつくっていくプロジェクトができてくるわけです。途方もなく先に、もしかしたら解決するかもしれないけれど、スラムにおいては半ば解決不可能な問題として提示されているわけです。そこで何が問われるのかというと、日本のホームレスにはトイレット問題はないですよね。要するに、公園に住んでいるから、公衆便所がある。あるいは、ホームレスの問題はもちろん問題ですが、日本における主要な問題かどうかはよくわからないわけです。いや、もっと難解で深刻な問題があるにちがいないのです。それが何なのかがはっきりしない。たとえばザグレブの郊外における難民問題というのは、ある種、露出している問題だと思います。清水さんたちが、それに応答しようとしてザグレブで上演する。それが簡単だとは言いませんが、日本で上演するときには、いったい何に応答しようとするのか。何が問題として存在しているのか。つまり、それこそ表象不可能なものとして、存在するかもしれない日本文化における問題性のどこと接続するのか。「闘争としての身体」は何と切り結んでいるのかということですよね。

清水 端的に、それは身体に課せられている暴力ですね。私の舞台構成の手法とクロスさせて言えば、まず身体を攻囲している視線の暴力を露呈させる。権力の構造が明るみに出るや否やメディア・イメージがすぐさまこの構造を脱構築する。身体は隠され、構造は中吊りのまま存続する。反動言説が分析、洗脳、調教を行う。

鴻 具体的に言うと?


 ドメスティック・バイオレンスの起源


清水 たとえば私の演出に特徴的な暴力シーンですが、いまや日本の観客のほとんどはこれをドメスティック・バイオレンスだと見なしています。虐待であると。私は、この変化を進歩だと思いたい。数年前はそうではなかった。叩かれている女優の背中が赤く充血していくとき、それが天使の翼のようだとか、殴るリズムに生命の鼓動を感じるとか(笑)。けれど一方で、この暴力をひたすら諸個人の人間性の問題に解消していこうとする勢力がある。原因は「心の闇」であると。「心の闇」なんて誰にもわかるわけないですよ、文字通り「闇」なんですから(笑)。
この暴力はかつての暴力——夫婦げんかや厳格な躾などとは違うのであれば、なぜこうも生み出されているのか。すなわちドメスティック・バイオレンスを生み出している構造自体を(上演において)問い、批判していくことこそ、演劇のなすべきことであるはずです。

鴻 もっとはっきり言ってしまえば、グローバリゼーションの所産だということですよね。

清水 そうです。温床は国家・資本主義です。一方では家族(血縁共同体)の解体を促しながら、他方では家族(税収の対象)に寄生する。こんな空虚なカラクリはみんな知っているんです。「闇」のなかにあるような事柄ではまったくない。

鴻 そうすると、いわゆるグローバリゼーションという事態にどう応答するか、あるいはどう反逆するかという問題が非常に重要な問題であるわけです。ある意味で言うと、いまグローバリゼーション流行りだけれども、演劇に限らず、現代のアーティストは、グローバリゼーションとどう闘うかという問題を抱えているわけですよね。たとえば、日本の場合だと、グローバリゼーションのなかで何が起こっているかというと、いわゆるナショナリズムの台頭、つまり外部性の排除ですよね。

清水 そうです。陰湿なレイシズム。

鴻 もしかしたら、差異化し、分裂し、異質化していく可能性をも孕んでいるかもしれないグローバリゼーションという動きに対して、資本主義のなかでの現実の動きは、可能性の部分を次々に剥奪していくことによって、ある地域をできるだけ均一の形に押し込める民族主義的な方法へ乖離させていくという、ある意味ではそれと矛盾した動きをしようとしている。そのことによって、権力はより強く身体を管理しなくてはいけなくなるという構造が起こっているわけですよね。

清水 ほんと脅迫的なガイドライン・キャンペーンですよ。「もっと監視を! もっと規律を!」とか、自警団にでもなったようなつもりで掛け声かけて。

鴻 そういうようなところで、日本の演劇が保守化しているわけだ。

清水 よくいわれているように、いまグローバリゼーションに対抗するものは「トランス・ナショナリズム」、と言えば新しそうだが、つまるところこれはかつての帝国主義ですよね。もう一つは原理主義。ありていに言えば、日本はこのどちらも選べないというので、ナショナリズムが跋扈しはじめてるわけですよ。しかし昨今の審美主義への回帰みたいなもので成立している日本の芸術作品は、まあ諸外国から一定の評価を受けている他ジャンルのものなら別ですが、演劇はちょっとその方向は無理なのではないかと思います。率直に言って、いまの世界の演劇マーケットから見ても、つまりこのグローバリゼーションのただなかにおいて進行しているアート・ツーリズムの枠組みのなかで見ても、そこはまさに表現の強度、思考の水準を革新すべく、新たなアーティストたちが凌ぎを削ってサバイブしているわけで、しかもこれらは皆、多文化主義で動いている。そのような状況で、日本の、それも復古主義的ないわゆる「ナショナリスティック・アート」がなんらかの評価を受けるとはまず考えにくい。

鴻 それはたぶん無理なのかもしれないけれども、試みとしてあるんじゃないかという問題はあるわけです。

清水 嫌ですね。相手にされないだけですよ。


 拓本文化的エンターティンメントと日本


鴻 九〇年代以降の日本の演劇の全体的な流れのなかで、清水さんは孤立しているわけですが、どうして孤立しているかというと、グローバリゼーションのただなかで、日本においては国民の演劇を創生するという大きなプロジェクトが展開されているからです。現代演劇のための新国立劇場が一九九七年にオープンしたことも、単に喜んでいられない出来事なのであって、その動きに向けて、九〇年代に大きな流れがあったわけですが、この劇場を中心に、日本の現代演劇はものすごく国民主義的な、ドメスティックな価値観をもとに展開しはじめたんです。それが九七年に実現するということ自体が、九〇年代の演劇の展開を象徴しているわけです。それと、演劇自体も外部とのリンクをほとんど持たない。戦争がモチーフになっている演劇などが作られても、加藤典洋の「敗戦後論」が、国内問題として、戦争責任やその倫理の問題を語るように、戦争の問題が実にドメスティックに演劇化される。たとえば、フィリピンの捕虜収容所を舞台にしたような作品を鐘下辰男が書く。フィリピンの捕虜収容所の話なのに、それは『ビルマの竪琴』と同じですが、そこには日本人しか出てこない。こうした感覚が可能になるくらいに、グローバリゼーションのなかで世界との交信に可能性があったような状況はまったく無化されてしまうんです。ほとんどすべての作品はその方向で動いてますよね。日本の現実とリンクするような形での表象を提示しているような演劇があるとすれば、それはむしろどちらかというと、風俗的な現象にコミットしているようなものです。そういうのを「拓本文化」と言うらしいけれど。

清水 タクホンというのは?

鴻 拓本というのは、墓石の表面に紙を置いて、ポンポンポンとたたくと、字が浮かび上がってくるもので、現実に深くコミットし分析しているのではなくて、拓本的に写し取っているということです。少なくともその演劇を観れば、たとえばケラリーノ・サンドロヴィッチの「ナイロン100℃」とかがやっている演劇は、拓本文化的エンターティンメントなんです。だから、そこへ行くと、もしかしたらそういうような女の子がいるかなという女の子が出てきたり、もしかしたら、そういう家庭があるかなというような現代の家庭が描かれていたりする。でも、それは一応エンターティンメントの系列のなかに、いわば写し変えられた一つの現実、拓本性というようなもので、私は、そこから演劇が活性化するとか、あるいは我々に何かを考えさせるというものが出てくるようには思えないわけですが。


 悲劇の逆説と崇高性



 演劇というのは現実に対する応答です。現実に対する応答というのは、たとえばギリシャ演劇がまさにそうで、神々の神託の通りに滅びていくオイディプスのことが上演されますよね。オイディプスの悲劇というのは、神々の神託の通りにオイディプスが生きてしまうことです。でも、ヴァルター・ベンヤミン(一八九二︱一九四〇)の『ドイツ悲劇の根源』に依拠すれば、そこに人間の敗北だけを見るのは誤りなのです。つまり、実際には神々に敗北するオイディプスが描かれているのに、非常に奇妙なことに、あのオイディプスを見ているギリシャの人たちは、それを見ることによって神々の企みを拒絶するわけです。その決断こそが重要なわけです。つまり、神々を拒絶する場所として、ギリシャ悲劇がある。神々の秩序というのは、それまでギリシャ人を支配していた秩序です。その秩序の中で滅びていく人間を描くことによって、彼らは神々の秩序を拒絶しているわけです。その逆説的な人間の姿の登場にこそギリシャ演劇の崇高性がある。そして、その非力な人間が圧倒的優位に立っている神々を拒絶する瞬間こそ、神々の没落が始まったときなのです。私は、このような悲劇の出現の構造のなかに、演劇の可能性があると思っている。表象不可能という問題もそこに関連してくると思う。つまり、日本の現実のなかで、それを描くときにその意識があるかどうかということが問題なのです。私がつい最近観た演劇のなかで、かなり感動したというか、驚きをもって七時間を過ごした芝居があるのですが、それはそうした表象不可能性と決断に関わる作品でした。ベルギーのグルーポフという集団がルワンダの人たちと作った、「ルワンダ'94」という虐殺に関わる演劇です。


  表象の限界と証言の演劇


 ベルギーはルワンダを支配していた国ですけど、ベルギーが撤退した後、民族抗争が再燃します。それが一つの原因となって、虐殺が始まり、その虐殺のなかを生き延びた人がいるわけです。その生き延びた人たちの一人が、この劇の冒頭で、自分が目撃したことを証言する。これは目撃したことを証言するのであって、その問題をどう解決したらいいかということを我々に伝えているものではないんです。そして、さらにこの集団の人たちはルワンダに行ったりしながら、さまざまな証言を集め、事実関係を一生懸命調べてくる。そうすると、いろいろな素材、ドキュメントが出てくる。実際に、虐殺の光景が隠し撮りでカメラに収められていたりして、そういう映像を流すわけです。我々はそれを観る。さらに、死者たちの証言のようにさまざまなテキストが我々に提示されてくる。「そういうものを公にするのはやめた方がいいんじゃないか」と言う人がいるなかで、ドラマの構造としては、BBBというニュースキャスターが「いや、我々はそれを見なくちゃいけないんだ」と言いながら、事実を明らかにしようという運動を現実化していく。劇の展開として、我々はその推移を見たり聞いたりする。結局、そこで何が起こっているかというと、防げなかった虐殺の事実がより詳細に我々に伝えられてくるわけです。それを防ぐ方法は何も提示されていないんですが、問題はそこで我々が何を考えるかということです。つまり、圧倒的な非力のなかで、それを拒絶するという決断をそこでするわけです。演劇というのは、そうした決断の場として存在しうる。でも、それは誰かの証言とともに行われる。生き延びた者たちが、死者たちの声を彼らに代わって語る。それは歴史を構築する作業以外の何ものでもない。証言と歴史の構築、そして、現実に起きたことに対する根底的否認、そうしたことこそが演劇という空間においてなされているのだということを、最初に発見したのはギリシャ人だと思います。そして、二十世紀の重要な演劇人たちが我々に伝えてきたのも、実は、そうした演劇の力でした。タデウシュ・カントールなどはまさにそういう演劇を作っていたわけです。
だから、そういう意味で言うと、先程の表象不可能性ということから問題が始まっているわけですが、でも、その表象不可能へ演劇の形式は接近しようとするものなのです。表象不可能なものと関わろうとする形式として「証言」というものがあり、それを契機として二十世紀の重要な演劇は成立している。カントール自身、「死者たちは証言する」という言い方を何度もしていますが、現代劇の可能性の一つとして、私はいま証言によって過去を歴史化していく場としての演劇というものを考えている。そして、先程からの話を聞いていると、清水さんもそういうことを行うのが演劇であると考えて、演劇と関わっているのではないかと私には見えるわけです。

清水 はい。そうあらねばと。

鴻 私はいま、来年、ハンブルグで開催されるラオコオン・フェスティバル二〇〇二の構想を練っているのですが、その統一テーマを「ヒストリー&メモリー」としたらどうだろうかと考えています。awakening(覚醒すること)というベンヤミンの概念が軸になります。カントールは「終わりが近づいてくるにつれて明らかになってくるものがある」と言いました。しかし、我々は二〇〇〇年という時を通過して、二〇〇一年にいるわけです。我々は始まりにいます。だから、我々の意識を少し変える必要があると思う。我々は二十世紀から二十一世紀に向けて目覚めつつある。ならば、覚醒していく最初の瞬間に何を我々は想起するのか。目覚めの瞬間に我々が記憶している夢はすぐに忘却されるだろう。ならば、それを忘却する前に、いかにして分析し、定着させていくべきなのか。この作業こそが歴史という作業ではないのか。おそらく、それが現代演劇を考えるときに非常に重要なモチーフになってくると私は思っているんです。なぜなら、「いま・ここ」で上演される演劇という形式は、まさに過去を現在時において批判的に再配置する方法でもあるからです。先程、清水さんが言っていた身体ですが、「ま」という字が書けないとか、そういうある作業から出てきた事態は、生き延びた者の証言ということに繋がりがあるのではないかと思うのです。


  告白の陥穽


清水 ええ、そうなんですが、繋げるためには新たな方法が必要です。そうでないと、我々がそのまま舞台で表現しても単なる告白に終わってしまうんです。その告白をどうしたら証言に繋げられるかという、まさにこの「どうしたら」が問われている。これはこのあとの作品分析で具体的な議論になると思いますが、いまここで言えることは、告白から証言に向かうべき回路が一見、閉ざされているかのように見えるのは、まさに「身体」が奪われているからです。唯一それを語ることができるはずの彼・彼女の「身体」が、メディア・イメージによってすでに強奪されている。たとえば先程、ルワンダの話がありましたが、私は衛星放送で見ました。

鴻 ルワンダの事件そのものですか?

清水 そのものというか、なぜ虐殺が起こったのかを関係者たちの証言によって検証しているものです。たしか九七年だったと思います。「零カテゴリー」という舞台で音声を一部使用したこともあって、よく覚えているのですが。

鴻 芝居ではなくて?

清水 ええ、芝居ではなくて。「ルワンダの悲劇」というカナダのアルターシネが制作したドキュメンタリーなんですが……私が最も驚愕したのは、ある監獄の光景でした。とにかく膨大な人々が囚われている。狭い獄で身を横たえることができない。ずっと突っ立ったままで、排泄も自分の足下に垂れ流すほかない。足の傷が腐ってきて壊疽になる。多くの人たちがその壊疽になった足を切り落とされて、その場に崩れ落ちている。そこにテレビカメラが向けられる。むろんみな一言もない。すると、一人の男が腐りかけている自分の足の親指を引きちぎってカメラに向けて投げたと、番組では紹介していました。また最近、ボスニアにおける虐殺のドキュメントも放映されましたね。当時、国連軍の中枢にいた現場のオランダ軍将校の証言とか、いろいろ事細かに出てくるわけです。その将校は、自分たちがここで難民たちを見捨てて撤退してしまったら、間違いなくこの難民たちはここで虐殺されるということがわかっていながら、撤退して本国に帰ってしまうんです。そういう人の証言は苦渋に満ちていて、「あのとき…」みたいな感じでまるで、俳優のように語りだす。それは、私は告白だと思うんですよ。告白ではなくて、本当に証言すべき当事者たちの、犠牲者たちの声は、ただの一言もないんです。みな呆然といつもただ突っ立っている。ボスニアの方はまだ幾分か声はありました。けれどルワンダとなると、こういう映像ばかりで、とにかく一言もないんです。私は本当に、「何か言ってくれ!」というふうに叫びたくなるのですが、ただただいつも突っ立っているだけの映像なんです。この事態をたとえば、「屠殺される寸前の家畜のように」などと言ったり書いたりしてしまえば了解はされるだろうが、決して「表象」には届かないでしょう。これらの身体は、「詩」なんかではないんです。文学ではないんです。鴻さんの言葉を借りるなら、圧倒的に非力なまま、立ち尽くしたままの、まさにこの「身体それ自体」がそのまま証言だと思います。証言というのは、それは言説として、言葉として説明されなくとも、身体に差し向けられた眼差しのなかで、あるいはまた「反復」という事態を汲み取ろうとする想像力を通して、証言というものをすくい出すことができる。私としては、そのような手法をもっともっと開拓したいと、せつに思うんです。


 第二部



鴻 これまで我々は、作家が作品を作っていくときに、どういうふうに世界を見ているか、それと表現をどう繋げるかなど、やや原則論的な話をしてきたわけですが、そろそろ九〇年代の解体社の活動に具体的に触れていきたいと思います。身体における帝国主義とか、資本主義的な抑圧の形式とかが、八〇年代の「イメージの演劇」の本質だったのではないかと、湾岸戦争を契機にして思うようになったと言っていましたが、それは非常に重要な問題ですけど、その後、実際に作品自身が変わっていくわけですよね。その変化というのは、自分の作品を自分で分析すると、どういうふうなところにあると考えていますか。

清水 そうですね、上演に即してお話すると、「THE DOG」と「TOKYO GHETTO」ですか。犬(THE DOG)の方は、先程お話したように、二年の空白を経て新たなメンバーとともに本郷にアトリエをつくったときの旗揚げ公演ですね。野外から再び密室へというところですか。九三年です。その年、アメリカに行っています。当時、イメージの演劇をどのように切断するか、できるかということばかり考えていました。それと身体の政治性についてです。九五年に初演した「TOKYO GHETTO」は、ヨーロッパ、韓国をツアーしています。暴力に晒された身体の表象がテーマでした。方法的には、解体あるいは内破という演出の仕方に、より意識的になったとも言えると思います。私としては、この作品がなぜあれほどまでにあの時期ヨーロッパの観客を挑発したか、いま総括してみたい。


  演技、暴力、挑発


鴻 何が挑発的だったのですか? 

清水 身体に対して直接的に行使される暴力です。実際に、男性が女性の背中を、彼の体力の限界まで、叩く。二十分ほど叩き続ける。

鴻 他人の体を叩くという形で行使される暴力。

清水 まずもってこれは違反なんですよ。ヨーロッパの舞台表現において、暴力は暗示させるだけの、それこそ単に表象です。

鴻 舞台で実際には叩かない。

清水 舞台では、通常、暴力は暗示・表象されるだけです。性行為を行う舞台や自分のからだを切り刻んだりするパフォーマンスは見たことがありますが、このような暴力、つまり舞台上の身体が、しかも他人から、相当なダメージを受けるような暴力そのものを提示するのは、言ってみればタブーです。

鴻 普通、通俗的に言ってしまえば、殴る(頬を叩く)シーンというのは、自分の手のひらを叩くわけですよね。そういうふうにして、殴られたとするのが映画でも演劇でもよくあるわけだけど、実際に叩く・殴る。

清水 ええ。私が示したかったのは、先程の証言の話に関連させて言えば、いわばノンフィクショナリズムの可能性と言いえるようなものです。まぎれもない事実と、行為をし続けることの限界、すなわち叩いているという事実、叩き続けるという行為、それだけで、事実と行為だけで構成された舞台を目指した。とくに演出にとって重要なことは、観客に対し、この行為に何の説明も与えないことでした。これこれこんなわけで殴っているんですよといった、理由づけや動機、要因をいっさい示さない。劇場が新鮮な不安に満たされるまで、因果も善悪も決定不能のまま放置する。いま思えば、私のこうした演出というものに対する構え自体が、あれほど挑発した理由かもしれない。いずれにしても暴力と不安は、いまもってグローバルな演劇表象として、ポジティブに機能しうる、対話ができる、ということをこのツアーが教えてくれた。
もう一つは、端的にオリエンタリズムがあった。

鴻  アジア。

清水 東洋ですね。私は東西の境界はとうにないと思っていた。

鴻 彼らにはあるけれど、私にはない。


  東西から南北へ


清水 ええ、私は南と北の境界を提示していた。

鴻 ちょっとわかりにくいので、もう少し詳しく訊きます。つまり、身体というのがいわば制度化された存在であるし、しかもそれをどう操るかということをめぐる、さまざまな技法みたいなものを考えていくという意味で言えば……?

清水 「動き」ですね。

鴻 動きを考えていくと、能や歌舞伎の身体も、舞踏の身体も、同じではないかもしれないけれど、そういう舞台上、役者としての身体を考えるときにそのことは延々とやってきたわけですよね。

清水 いや、同じですよ。みな同じことを言っている。

鴻 だから、それとは違わないわけですね、いま言っている話というのは?

清水 たとえば、世阿弥の「花」、アルトーの「分身」、土方巽の「剥製」、バリのケチャ、インドのカタカリ、クラシック(バレエ)、マーサ・グラハムの「コントラクション」、コンタクト・インプロビゼーション、フォーサイスの「置き去りにされた身体」であれ、根本はみなたった一つのことに関わっている、つまり近親相姦に関わっている。言い換えれば、禁止なしの「動き」は可能か、という絶対的な事柄にです。
たしか、アルトーは、「人間の身体はうまくつくられていない、秩序も調和もなにもない」というふうなことを書いています。土方も「生まれてきたことが即興である」と発言してる。つまり、身体にとって「人間として生まれてきたことが制度である」と言っている。私にはそう聞こえる。アドルノが言うように、疑いもなく私は「啓蒙の時代」を生きています。けれども私の、いまのこの身体は、いつだってその結果を、すなわち「啓蒙の結果」を生かされているにすぎない。ですから私という人間のこの身体の自由を目指すならば、この身体の様態を人間以外の生き物にトランス(変換)させ、かつ、その動きに徹底した加工をほどこす、当然のことです。あたりまえのようにみなやってきたことです。

鴻 別に能・歌舞伎だからではない、ということを言っているんですね。能・歌舞伎でなくても、マーサ・グラハムでもそうである、クラシックでもそうであると。すべからく身体表象というのは、みんなそうであると。だから、そう言うと、東西という考え方に問題があると。

清水 そもそもこの境界は、地政学的にはとうに消え去っているわけですよ。冷戦の時代から、米ソの宇宙戦略があったわけですから。ただ具体的な身体がふれあう演劇のような文化実践の現場では、むしろ個々のアイデンティティーを保証するラインとして、いまだ強固に認識されています。それはヨーロッパばかりでなく、昨年の香港公演でも感じたことです。ともかく、このような「安定化」に向かう回復願望は、それこそ拒絶していかねばならない。

鴻 なるほど。その東西という考え方が無効化されたなかで、出現してくるのは南北の問題ということですか?

清水 階級分化です。階級分裂ということ。

鴻 南北問題と身体の関係をもう少し語ってもらえますか。


  アジア的身体という神話


清水 ですから、まさにそれは「反復」とルワンダ難民の表象不可能性をどう繋げるかという方法意識と、告白と証言とを繋げていく手法の政治性、歴史性にかかっている。
二、三、思い出話をさせてもらえば、九五年の「TOKYO GHETTO」の初演のとき、鴻さんが、女優たちの身体を評して「従軍慰安婦だ」と言われたのを覚えています。私は勇気づけられました。だって彼女たちは、数十分の間、ただ丸椅子に座って押し黙っているだけだったんです。また、このころ外国のプロデューサーたちが少なからず私たちの稽古場を訪れるようになりましたが、あまりよい反応ではなかった。「私が見たいのはアジア的優しさなんだ」などと言う人もいましたね。アジアにだって南京虐殺もあったし、サハコーもあった。無視されては困る。忘れてはいけないですよ。アーティストには責任があるんです、いまだにこれらを生み出す構造を放置している責任が。私の舞台は、ますます寡黙になって、以前より身体を晒していくようになった。裸体をあつかうようになった。汗、重さ、皮膚、血、涙といった、一度は捨てたはずの身体の物質性が再び稽古場に回帰してきた。これらをどのように歴史と接続させていくか。
もう一つは、またも「イメージの演劇」です。先程グローバリゼーションに対抗するものとして、トランス・ナショナリズムということを言いましたが、イメージの演劇の可能性を考えはじめました。ひどく矛盾しているようですが……。

鴻 それも有効であると。

清水 なぜってトランス・ナショナリズムなんですよ。ビジョンにおいて。

鴻 清水さんにとって、トランス・ナショナリズムはイメージなんだ。

清水 ある閉じられた空間の内部で、それぞれの身体がそれぞれの形でもって多種多様に自己実現するための井戸を掘る。いや掘っているかのように見せている。けれど実際は、身体は構成体のパーツにすぎない。初めの方で指摘しましたが、ここでの身体は、あくまで媒体でありオブジェなんです。最初の方の議論に戻ると、そこで意図的に消し去られているのが、権力、強制力なんです。とくに、いま流通しているイメージの演劇の構造は、おおむね、それが誰彼の強制力なしに行われているかのように、つまりそれぞれの身体が自律して、あたかも自発的に動いているかのような世界を観客にイメージさせている。これは簡単に批判できないですよ。「平和」が目指されているんですから。権力関係、政治性を消去しながら。自律や平和を悪く言う人はいない。したがって世界化する。「平和」を目指しているから戦争が起こるのだと、私はイメージの演劇に対して言いたいわけです。


  ボーダレスと内破の手法


鴻 そういう意味で言うと、イメージの演劇というのは、舞台表象の普遍性の神話と繋がるわけです。つまり、演劇は世界に通用する。演劇は普遍的だという、要するに、日本人だけにわかるものではなくて、この優れた演劇、舞台は、アメリカ人にもわかるし、アフリカに行っても高く評価されるはずだという普遍の神話があって、それと非常に密接に関わるような形で、イメージの演劇というのが出現してくる。だから、イメージの演劇というのは、どちらかというと、普通の演劇の記述言語としての言語性は少ない。イメージ言語はあるかもしれないけど。
そのようなこともあって、一見みんなにわかるものとして流通したため、演劇よりもダンスの方がいいのではないかということも含めて、世界性を持ちうるのではないかということを言ってしまうような、ボーダレスということが非常に脳天気に語られるようなときに、イメージの演劇が世界に流通するということでもあったわけです。実は、それ自体が批判されていかなければならなかったということに、九〇年代に入って、何人かの人が気づき始めていったということですね。

清水 ええ、私の方法はどうしようもなく「解体」ですから、これを批判するには、構造のなかに入っちゃって、これを内側から機能不全にしていく、内破していくという手法をとっていたんですが、それだけでは充分でない、何かいる、すなわち「切断」がいると。以前、私は「切断」というのは、光やオブジェ、音、映像などの諸要素が、鋭く空間を切断しているとか、いわゆるセノグラフィの構築のことだと勘違いしていた。そうではなく「意味」なんですね。イメージの演劇を切断するのは「意味」です。言語と言ってもいい。当時、私が意味として持っていたのは憲法九条とジェンダーです。これらを一定の持続、イメージの持続の限界地点で「切断」のために使った。


  エイズの身体


鴻 八〇年代のアメリカを例にとると、八八~八九年から演劇が政治化するわけですけど、要するに表象のポリティクスということがいわれて、実際に現実的・文化的な争点とどういうふうに呼応しているのかが、表現者にとって非常に重要な問題になってきて、実際に舞台に出てくる人たちもその問題と関わるわけです。たとえば身体というのは、実際にエイズとかそういう問題と関わりつつ、先程、内破と言っていたけど、内側から崩壊していく。そのような人が近くにいたり、あるいは都市のなかで増えてくる、あるいは本人たちが実際にそうであるとかで、身体に向ける眼差しが変わるわけですよね。
九五年に死んでしまったレザ・アブドー(一九六三︱一九九五)は、「初めてエイズであると認識したときに、最初にしたことは自分の便を見たことだ」と言っていますが、そのことで、いままでとは違った形で自分の便を見つめるようになる。便というのは、自分のからだの中から出てきて外側に行く、いわば自分であると同時に、自分でないようなものであるわけだけど、その形態、色、あるいは水分の状態をじっと見るようになった。それは一つのきっかけであって、身体全体に対してどういう眼差しを向けるかという、いわばさまざまな身体に向ける眼差しの出発点として彼は自分の便を見つめたんです。同時に、便を見つめるように、自分のからだを見ていく。さらに他人のからだも、いままでとは違った形で見えてくるんです。
だから、そういう形で存在してきた人間の肉体的・身体的状況が、彼が演劇を作るときの非常に重要な契機になっている。そのなかから、晒されている身体が彼の演劇に極めて重要になってくる。それは一九八八~一九八九年から九〇年代に向けての人間の置かれている状況と演劇が非常に密接に関わり、そして、人間の置かれている状況こそが演劇であるという事態が起こってきているのです。そういう意味で言うと、イメージの演劇自体が、実は演劇という表現の形式の内部において、八〇年代の終わりぐらいから内側から壊れていったわけです。
それに気づくか、あるいはそこに関わるかどうかの大きな問題がある。いつ気づくかは、人によって若干ずれても別に何の問題もないと思うんですが。
そういうなかで、いま清水さんは「意味で切断する」と言ったわけですが、それはまさにアブドーにおいてもそうで、アブドーの演劇もイメージの演劇みたいなんですよね。非常にスペクタクラーで、ロバート・ウィルソン(1941ー)の次の世代だといわれたりもする。つまり、非常に大きな舞台で造形的に作品が作られていく。

清水 プロセニアムですか?

鴻 工場みたいなところでやる。それを写真に撮ると、まったく同じではないんだけど、それこそイメージの演劇が意味で切断されている印象を受ける。それが、おそらく八〇年代から九〇年代への移行期のなかで世界の現実の変動——世界自体がある危機的な状況へ向けて動いていくときに、多くの演出家たちによって目撃され感じられたことだったと思うんです。それを清水さんは湾岸戦争を契機に掴んだ。アブドーは九五年に死んでしまったけれど、 九五年以降、事態は変わっているように思える。そういった問題を含めて、たとえば九三、九四年に自覚されはじめた問題というのは、ここ数年のなかで、どういうふうなところに立ち至っているのでしょうか?


  劇場空間における分断線


清水 やはり話しておきたいのは、クロアチアのザグレブで「TOKYO GHETTO」を上演したときのことですが、上演中、観客に乱入されて二度ほど舞台が中断したことがあるんです。私は、その事態を、たとえば舞台と客席がそこで境界を消失したとか、消失して何か融合してとか、そんなことではまったくないのだと考えています。この切迫した一瞬の中断がとても重要だと思うんです。中断といってもわずか数秒なんですが、その一瞬が二回あり、まさしくここでいま、分断線が引かれているのだと感じた。
男優が女優を叩いているわけです。そこに一人の観客(男性)が客席からザーッとやってきて、叩いている男優の足をバッとすくった。「やめろ!」と。そうしたら男優がバーンとひっくり返って、それで場内は大喝采です。そのとき彼は男優に「何だこの野郎!」と見返されると思ったんですね。だけど、男優は振り返らずに、また叩きはじめたんです。また叩きはじめたんで、観客がまたワーッとくるわけです。そうすると、他の観客たちも「Stop it!」と口々に叫びはじめた。そのなかを彼は再び英雄のようにやってきて、また男優は足をすくわれひっくり返ったのですが、振り返ることも、むろん見返すこともなくまた叩きはじめたんです。もし三回目が始まったら、もうほとんど収拾がつかないので、私も舞台に上がって「とにかく最後まで見てくれ」と言おうと思っていたところ、三回目の前でシーンがパッと変わり、そのまま上演は続けることができました。
何が言いたいのかというと、彼は見返されると思っていたんです。男優に見返されることを期待して、二回来たんだと思います。つまるところ、彼のなかで、自分が想像だにしていない、他なるもの、自分とは決定的に異なる他者に、つまり他の身体性に遭遇したんです。そこで線が引かれたのではないかと、私は思っています。要するに、普段、隠されていて見ることのできない分断線が現れた。彼と男優の間に、分断線がシャーッと引かれた、ということです。その分断されたなかで、イメージに監禁されていた身体性が、いわばこのようなアクシデントを通して、ふっと垣間見える。意味として見える。

鴻 その観客にということですか?

清水 ええ。すべての観客に。

鴻 足を払った観客にも?

清水 おそらく、彼が最もよく見えたのです。彼は上演終了後にドイツの新聞記者からインタビューを受けて、「なぜ上演に介入したのか」という質問に対して、自分のしたこの行為について長々語っています。記事によれば、彼の住んでいるアパートの隣室の夫婦のことにふれています。「毎晩、夫が妻を殴っている。殴る音が聞こえてくる。自分はそれを止めたいのだが、夫は見るからに屈強で非力な自分はとてもかないそうにない。毎夜、妻の悲鳴を聞きながら、夫の殴る数を、ただ数えているだけだった。いままで自分は最低の人間であったけれども、今夜この劇場で、自分は、ついに止めることができたのだ」といった内容です。

鴻 何年のことですか?

清水 九六年です。ユーロカズ・フェスティバルという、次世代の先端的な舞台だけに焦点をあてて開催される国際演劇祭でのことです。私にとっては大事件だったこれを契機に、「身体の演劇」についての理念に思いをめぐらせました。イメージの演劇から「身体の演劇」と言えばすんなりですが、そうではない。少し厳密に言うと、まずイメージの演劇が、意味で、あるいはアクシデントで、切断される。分断線が現れ、それによって、いままで監禁され表象不可能だった「身体」が見える。まさにそのときに、イメージの演劇の切断面に、その切り取られた断面に「身体の演劇」が成立する。


  演劇と共同体からの離脱


鴻 それは、そのアクシデントによって、清水さんが気づいたわけですよね。だけど、そういうのが潜在的にあったわけですよね。それまでは気づかなかったかもしれないけど、分断線があるということが、そのことによって意識されるようになったということですね。
いまの話を聞いていて私が思いだしたのは、カントールがその分断線について書いていたことです。カントールにとって、演劇というのは「死の演劇」なんですが、それは宗教的・文化的共同性から離脱した者と関わっている。共同体から追放された者にはさまざまな運命が待ち受けているわけだけれども、その運命を背負いつつ、どこかに掻き消えていた人間が、こちらに戻ってくる。彼が共同体に帰還してしまえば、普通の人だけど、その人が共同体に帰還しないで、共同体の手前に留まり、こちらに目を向けて佇んでいる。それは異様な光景だが、そのような人間がそもそも俳優の起源なのではないか、というのが彼の考え方です。顔形は人間だけれど、彼は限りなく異質な存在なんです。「我々とはまったく違う、まったく無縁の者が、見えざる越えることの不可能な境界線の向こう側に佇んでこちらを見る瞬間こそが、我々が真に俳優と出会うときであり、我々はそこに新たな人間の誕生を予感して戦慄するのだ」とカントールは『死の演劇宣言』のなかで書いています。そのことが演劇の本質だと、彼は考えているわけです。そういうようなときに何が起こるかというと、私は先程から観客論に話をもっていこうとしているんだけど、このことにおいても、観客が何かを発見するのであり、観客が新しい人間へと変貌する契機をそこで手にするわけです。そのためにこそ、向こうは途方もなく異質なんです。それが演劇の構造的本質です。カントールが「死の演劇」の理念として語ったことを、期せずして、いま清水さんは話しているわけです。日本の演劇評論家などを見ていても、基本的に共感の共同性が演劇であると思っている人が多いし、ギリシャ悲劇さえもそうだと思っている人が多い。ギリシャ演劇以来、演劇は客席と舞台とがいかに融合するかということを考えている、ギリシャの古代劇場が円形になって客席が舞台を取り囲んでいるのは、そういうことだと思っている人も多いですよね。

清水 実際、よくいわれてますね。

鴻 そして、たとえば近代劇場だと、舞台がちょっと高くなっていて、鰻の寝床のように客席があって、舞台と観客席が冷ややかだから、「その冷ややかさを取り除くために、野外の円形劇場を造りましょう」というふうに仮に誰かが言ったら、ほとんどの人が納得するわけでしょ。

清水 (笑)していますね。

鴻 でも、それはまったく演劇的でないということです。ぜんぜん演劇的ではない話をしている。だから、いまみたいなアクシデントが派生することによって、明らかになってくることが、むしろ演劇的な出来事であり、演劇の本質的構造を改めて我々に知らせているということなんですよね。 最後に、清水さんがまさにいま考えていることを話してもらって終わりましょうか。


戦争身体、そして幻影姿態


清水 それは「戦争身体」です。これからの戦争によって生み出されるであろう身体と、かつての戦争によって見いだされた身体。前者は、先刻から話題にしている「身体の演劇」の流れで、その展開をさらに推し進めるものです。技法はフィジカル・ムーブメントですが、イメージとしては管理不全の「群れ」ですね。しかもこの「群れ」は光にあたると消えてしまう。いわばイラク兵の死体ですね。死の軍隊とよんでもいい。ともあれ、南北の階級をさらに分裂させてより多様な分断線を現出させたい。後者は、いままさに取り組んでいるニューロ・システム、あるいは幻影肢態(ファンタム・ペイン)とよんでいる技法ですが、いってみれば、寸断された身体知覚のバーチャル・アクチュアリティのことだと思ってもらえばいいと思います。

鴻 ない足が痛むみたいな。

清水 まさしく幻影です。引きちぎられた足の行方、失われた肢体の幻影を生きる身体、知覚だけで創られた「動き」、「気配」のシステムのなかで、この身体性がいかなるものかをはっきりと明示したい。いまは、この方法に賭けてますね。

鴻 なんでその問題が出てきたわけですか?

清水 九八年以降、メンバーがまた入れ替わりまして、若い彼・彼女らは俳優でもダンサーでもまったくない、そうしたものになる気もない、単に「身体」なんですね。こうした身体といつもゼロ地点から向き合える、ということは私にとってとても大事なんです。
何が言いたいのかというと、一つは「身体の演劇」は絶えずイメージの演劇に回収されてしまう危機を、構造上、常に孕んでいます。もし切断に失敗すれば観客の多くは安心してすぐさまそのイメージを消費するでしょう。綱渡りなんですよ。たとえば二、三年前から私の提示する身体がリアルであるといわれだした。リアルな身体などあるわけはない。結果を、制度を生きているんですから、前に言ったように、リアルはあるのではなく「反復」として体験するのです。ですから本来、それは表象しえないものなんです。だからこのリアルはバーチャルに対抗して発明されたイメージ言語にすぎない、がそうであるがゆえに、あっというまに世界化する。しかし、そもそも私はそんなことをやっているのではない。私が汗、血、痛苦とか諸々のアブジェクションを舞台上に持ち出すのはリアルだからではないんです。バーチャルだから。重要なのはバーチャルの方です。まさにドット(点)と化した身体からどのように腕を、足を、肢体を知覚していくのか、加速するメディア・テクノロジーの進化のただなかで身体を攻囲する、監視・検索権力のアクチュアリティが緊急に問われているのです。 
第二にその政治性です。私は当初、身体のクローン化のようなことを考えていました。クローン技術の進展は国家を無化してしまう。資本主義が国家に依存してきた労働者の生産と管理を、国家なしでやれてしまうからです。資本主義みずから労働者を産めるのです。国家にとってそれはとうてい容認できるものではない。ですからグローバリゼーションにおいて、クローン人間の存在はいまのところ解決不可能な両義性を持っているわけです。先程、一新されたメンバーは単に身体だった、と言いましたが、私は彼・彼女らにクローン身体の表象の可能性を見ていたわけです。たとえば、生の緊張感をまったく失いながらも自分の身体を無機的な状態のまま持続させている、この身体は世界を見ることはない、ただ眼球の表面に映しだしているのみ。そのような鉱物質の身体性を通してクローンを表象できないか。この技法はまだ獲得できていませんが、作業は続けていきたい。いずれにせよ、自分のこの身体はすでに自分の所有物などではない、という認識がきわめて重要なことに思えます。 
最後に歴史化です。つまりは「戦争身体」の歴史化です。結論から言えば、私はこの身体を「戦争神経症」と接続させたい。第一次大戦後に初めて出現した身体、いわゆる塹壕身体ですね。前線の中の塹壕に何カ月も籠っていた兵士が、そこから逃れ出てきたときにフロイトによって見いだされたあの神経症です。
今秋はおよそ三カ月にわたりヨーロッパ、アメリカを公演してくるわけですが、二十世紀初頭に見いだされた身体が、この二十一世紀の幕開けにおいて甦ってくる。そのような上演を通して、今後も世界の観客との対話を続けていきたい。

2001年6月 スペースカンバスにて
(冊子『劇団解体社1991—2001』 所載)

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冊子/劇団解体社[1991—2001]