Tokyo Ghetto; HARD CORE
構成・演出 清水信臣
TOKYO GHETTO。三年のあいだ私たちはこの作品を上演してきた。
さまざまなサブタイトルとともに変奏に変奏を重ね、いくつもの旅をした。
「みんなに格好いいと思われていることを格好よくやることが、どんなに恥ずかしくて格好わるいことか、あなたたちはよく知ってる」。(1)
初演の夜、確かこんな言い回しで、その人は私たちを励ましてくれた。
私たちは大いに笑い、そして、この不格好な舞台を続けていく勇気を得たものだ。
おととし、私はこの街の、とある区域に迷い込んでいた。そこでは動物の皮剥ぎが行われていた。労働者はすべてアラブ人か黒人だった。無数の視線が板塀の隙間から私に向かって突き刺さってくる。私は見返すことができなかった。その夜、シンガポールのアーティスト(2)が私たちのアトリエを訪ねてきた。彼はひどく腰を痛そうにしていた。どうしたのかと聞くと川沿いの山道を一日中、腹ばいになって進んだからだという。なぜ?ゴールには水門があってそれに向かって「開門!」と叫ぶために。再びなぜ?天安門の虐殺に抗議するためにです。私たちはこれらの人々の眼差しに耐えられる舞台をつくろうと欲し、私たちは私たちの身体から一切の「自己表現」を奪い取ったのだった。—それは、演技というより労働に似ていた。それも下等で苛酷なそれに。
今夏、TOKYO GHETTOはクロアチアの首都ザグレブで開かれたユーロカズ・フェスティバルに招かれた。今年で十年目を迎えるこの東欧圏屈指の前衛演劇祭のコンセプトはポスト・メインストリーム。
「次世代の新たな演劇の潮流」と訳せば何か希望の灯が見えてくるようだが内実はそんな安易なものではない。そうではなくこれは、演劇が終わった後の「演劇」(3)—より正確に言えば従来の演劇的表象がもはや不可能になった後の「演劇」とはいかなる舞台なのか、という重大な問いなのである。
フェスティバル・ディレクターのゴルダナ・フヌック氏は言う。
「それは魅惑的なイメージで観客を誘惑したりはしない。それは制度や構造といった、イメージに先行するものを問題にする。」(4)
その意味で、フェスティバルのオープニングがロバート・ウィルソン自ら、六○年代から現在までの作業を概括するソロ・パフォーマンスであったことは極めて示唆深い。彼が現前させた「イメージの演劇」—ヴィジュアルアーツと身体の融合、こそまさに演劇を一挙に記号化し、多様化し、世界化し、その逆説として今日の表象の危機ー私たちは共通のコードを共有していない、共通の分母は空虚であるという事実を白日の下にひきずり出したのだ。私たちは等しくこの事態のただ中にいる。「従って私たちが出頭しなければならないような法廷はもはや存在しないといえよう。だがそれにもかかわらず、私たちは自分たちが絶えず裁かれ続けていることを、よく理解している」。(5)
ウィルソン以降の「イメージの演劇」をめぐる思考が問い直されなければならない。
TOKYO GHETTOはどの地でも非難と喝采をあびた。
おそらくそれは舞台表象の美醜に対応している。
なににもまして私たちは美学の監獄から外に出たい。
たとえば、「私は醜い人間が舞台上にいることに我慢できない。だから私は彼らを美しい姿でみてみたいというエゴイスティックな欲望のためにありとあらゆる手立てをつくす」。(6)
力強い、このような、真実の、主張から私たちはどれほど遠くへ逃れようと願っただろうか。
私たちは何かを主張しようとしているのではなく、露呈しようとしているのだ。
この冬、私たちはいまひとたびTOKYO GHETTOに出頭する。
そのハード・コア(核心)を抱いて。
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(1) 古橋悌二 /解体社アトリエ「本郷DOK」にて
(2) タン・デ・ウ
(3) 西堂行人 「テアトロ」1996年9月号
(4) ゴルダナ・フヌック 「イコノクラティカル・シアター」
(5) ジャン-リュック・ナンシー「共出現」 批評空間Ⅱ-3/1994
(6) モーリス・ベジャール公演パンフレット
1996年10月/flyerより