Review: 劇団解体社 TokyoGhetto/ Orgie, Chapter Arts, Cardiff
Simon Thorne
アートとテロリズムの間には、ちゃんとしたラインがある。
彼女はチョークで壁に英語で書いた。「私を暗い墓の中で休ませておくれ」と。そうであるなら、国々の歴史に刻まれた連綿とした残虐行為と共にあって、我々はどうやって平和を作り出せばいいのだろう。そのマニフェスト(訳註:表明者か?)は、第二次世界大戦後の降伏を、また古いニュース映画や建築家の設計図や、都市風景の早回しのビデオなどを通して語られる戦後の日本の再建を強調する行為としての遺産を、彼女が屈辱的なレトリックで語る時、その英語の音声と苦闘する。
(芝居の中の)アクションには枠がはめてある。私は椅子にじっとさせられている。しかし全てのものを一目見て把握することはできない。私は、奥行きのない風景の中での現実という制限内での、激しく個人的な行為の目撃者である。日常生活の儀式的行進は素早く元気のいいもので、停滞の地点にくると遅くなる。演技者たちは、空間に立っている人影に過ぎない。
痛みの官能は、加害者と受け手との間で注意深く考案された契約である。ともかく叩かれるべく我が身を差し出す女性と、みみずばれができるまで彼女を情け容赦なく平手打ちする男性は、明らかに共犯関係にあり、それがこの残虐さの極悪非道な実演を緩和するデリカシーを提示している。それよりも、そう簡単には弱められないためにいっそう不快なのは、次に述べる女性の辱められた姿である。ガードルだけであとは裸、断固とし、とりつかれたように、国の名前を唱えながら生のキャベツをまるまる一個むさぼり食うのだ。
劇団解体社は「シアター・オブ・ディコンストラクション」と訳される。これは政治的な切り口を特つ。Tokyo Ghetto では、メインストリームの外にいる追放者としての立場で語っている。それ(劇団)は普通の生活を織りなす小さくささやかな挑戦やヒロイズムを上演してみせる。この難民の詩学においては、ゲットーは少しも安全な避難所ではない。それはレジスタンスの戦闘活動である。
LIVE ART MAGAZINE誌(28July—28September1997)