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今月選んだベストスリー

西堂行人


近年の解体社は、即興的な身体パフォーマンスを全面に押し出し、言葉は極度に切りつめられて、独特の表現領域に手をそめている。舞台はダンスに近いが、しかしやはり言語を持った演劇に違いはない。三人の男性に弄ばれる女のレイプを模した場面に始まり、収容所に拘禁される家畜奴隷の群れといった断片的なシーンが組み合わされ、もしかしたら現在の日本の「現実」とはこういうものではないかということが観客に突きつけられていく。

なかでもわたしの心に残ったのは次の二シーンだ。一つは上半身裸の女優(中嶋みゆき)が、男性の腿を叩く音とともに、次第に震えだし、やがてその振動に耐え切れず床に崩れ落ちてしまうシーン。女優の腹の苦悶でたわむ薄皮一枚の皮膚は、外界と接する境界線であり、資本主義の最前線にさらされたなけなしの身体こそ、もっとも熾烈な戦場にほかならないのだ。もう一つは、男優(熊本賢治郎)がパンクの曲にのせて(抗うように?)絶叫を繰り返すシーンである。単純な言葉(On Power!)が反復されるだけなのだが、これがまた何かに強いられた者の叫びに聞こえてくる。

それにしても解体社の舞台は何とも挑発的だ。歴代の天皇の名前が読み上げられ、君が代のトランペット演奏はずっこけた音調で外される。モニターから投爆される光景が映し出され、ささやくように「思考を検閲せよ、欲望を抑圧せよ」といった言葉がかぶさるのである。さらに声は続く、「告白するな。証言するな。始まりも終りもない。起源も目的もない。ただ中であれ」と。こうした不穏な空気のなかへ、脳天気に携帯電話をかける娘が登場するところも心憎い。この落差は、どれだけの幅に演劇が届くかを証し立てているのかもしれない。



テアトロ誌/1999年6月号