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解体社の見事

長谷川 六


舞踏やダンスが身体の凝縮と緩和のプロセスに注目するのは、そのありようから当然だが、解体社の『TOKYO GHETTO』で、無言の肉体が物語る集約された「意味」の深さを計測して愕然とした。

無言であることはGHETTOと題材した事から象徴的にも推測できるのだが、彼等の場合、肉体の雄弁さは言葉の寡黙を裏付けるものだった。見事だ。

解体社の作業所には建築の仮説用パイプが立ち、それを解体し位置を変え、あるいは消し去るが、それは民衆の場としての内部空間の変貌と移動の軌跡でもある。装置が簡素である事は、この作品では多弁で、演技から曖昧な動きを消し去ったことも多くを語ることになる。消滅とは誕生であるという幻想を持たせない、ギリギリの演劇が存在する事を実感した観劇だった。観客が与えられるのは、自分を喪失しない自分の獲得、社会からの情報や体制に絡み取られないことの自覚、それではなかっただろうか。




PLAY BOAT誌 1995年4月号