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べストワン 解体社「TOKYO GHETTO ハードコア」

西堂行人


演劇がフィクションという枠からはみ出して、翼実そのものと化す瞬間がある。それは決して、演劇というウソの下から現実が浮かび上がるのではなく、フィクションを追及していったその先に、"現実なるもの" が不意に姿を現わすのだ。観客はそういう瞬間に出喰わしたとき、どのように反応をすればいいのだろうか。

解体社がクロアチアのザグレブで『TOKYO GHETTO』を上演したときの鮮烈な体験についてはすでに本誌(96年9月号)に書いた。冒頭近く、女優の素肌の背中を男優が執拗に叩き続け、その肌が次第に赤味を帯ぴていくといった衝撃的シーンで、客席からざわめきが起こり、次第にブーイングの嵐に変わり、ついには最前列に座っていた観客がたまらず手を出し、男優を二度までもひっくり返すという "行動" に出たことである。上演側の直接的な暴力の行使に対して、観客の側からの正当防衛とおぼしき行動、だがこれは演劇にとってどういう意味があるのか。一見演劇とは無縁に映るシーンから、演劇がどの水準で成立するのかという問題提起が出された。

このザグレブ公演に引き碗き、12月に東京の国際交流基金フォーラムで『TOKYO GHETTO ハードコア』が上演された。今回の公演は、一昨(95)年以来同じ題名で発表されてきた連作の舞台を様々に引用・輻湊し、ザグレブでの"観客の反応”を踏まえて、これをどう捉え直すかが主題化されていた。もちろん、日本の観客からはザグレブとは違って、きわめて微温的にしか反応は出てこない。観客の戸惑い、たじろぎといったものは潜在化し、問題が、"隠蔽" されるのである。では、この日本という場所で、本来劇がかかえこんでいる"問題性”を浮上させるにはどういう手段を請じればいいのか。

この上演で途中にトークがさし挟まれ、この「劇の中断」をめぐって語られたのも、それを意図したからであろう。ザグレブでは上演終了後、アフタートークが行なわれ、舞台同様スリリングなやりとりが交わされたが、それがこのトークの導き糸になったことは間違いなかろう。わたしが見た3日目は、トークの最中に、「パフォーマンスより難しいことを言うな」という野次が浴びせられた。この彼にとってみれば、エピソードを語る者に説明臭さと解釈の権威づけを感じとってしまったのだろう。

けれども、ここで紹介されたエピソードは興味深いものだった。ドイツの新聞劇評によれば、「劇を中断」した観客の青年は、毎夜隣室で、男性による女性への虐待を耳にしていた。彼はそこでは女性を救うことができず、ただ(殴打する)数を数えることしかできなかった。ところが今回彼は、拍手喝采のなか、男優の虐待を阻止できたことを誇らしく思うとインタヴューで答えているのだ。

劇に立ち会う観客のなかには、それぞれのドラマがある。だが彼の内部で起こったことは誰にも等しく共有されるわけではない。たとえば、何故劇を止めたかという理由に普遍的な解答などありえないだろう。もし仮にヒューマニズムといった概念を持ち出してその行為を説明してしまったら、とたんにその言説自体がウソになってしまう。簡単に解答できない、説明不可能なドラマが個々の観客のなかに生起しているのである。ならば劇の上演とは、観客に対して素材を投げ出し、個人的な"通路”をつげるのみで、そこで生じたものをどう処理し解釈していくかは、観客の<その後>にゆだねられる。

だがこうしたドラマを誘発するにはそれなりの前提が必要となろう。たとえばこの上演で俳優は、何一つ「自己表現」しているわけではなく、むしろ「演じる」という行為を奪われ、その事実を苛酷にも舞台の上に露呈しているにすぎなかった。そのためか、背中を叩き続けた男優はその後、腰が抜けるまで自分の腿を叩き続けねばならなかったのだ。むろんそれは「暴力」の代償としてではなく、「表現」というものが「消滅」する地点に自らの身体性を追い立てるためである。その俳優の身体に何らの作為性(ウソ)はない。いや身体は決してウソをつけないのである。キャベツを食べ続けながら嘔吐し、国の名称を喋り続けた女の場合も同様であろう。その「行為」を文学的なイメージとして分節化することはできないのである。つまり「演じる」ことが不可能な地点から解体社の劇は開始されているのだ。これはトーキョーという「ゲットー」のなかに収容されているわれわれの身体の見事な”写し”と言えるだろう。

だが第二点として、それらの行為は必ず美学的なものに裏打ちされていなけれぱならない。舞台奥より女優たちが手の平に土をのせて歩いてくるシーンなど、きわめて美しい構図を形づくっていた。空間の見事な造形と俳優たちの計算された運動。そうしたなかでこそ、囚人服(?)の女性が監視員に体をまさぐられ、髪の毛のなかまで探られ検査されるといった戦慄的なシーンがリアリティをもって起ち上がってくるのだ。わたしはこの劇体験から、ダムタイプの『S/N』を連想した。この上演もまた美学的なパフォーマンスをともなって観客に何らかの解答を追ってくるものだった。

「1997(いちきゅうきゅうなな) 春 上野駅で オトコを待っていると 戦争が やって来た」……この簡潔にして衝撃的なセリフは、これまでのいっさいの行為を予見的なイメージのなかに開放した。観客の欲望を吸い込んで成立する「開かれた劇」とは、たぷんこうした形式を言うのである。



テアトロ 1997年3月号