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カンプナーゲルにおける日本:驚異的なイメージ

Monika Fabry


「ラオコオン・サマー・フェスティバル」の開幕を、害のないブランカ・リーの『ナナとリラ』で飾ったことは誤算であった。アルバロ・レストレポの『テトラロジアーコロンビアの一風景』と日本からの劇団解体社のヨーロピアン・プレミア『バイバイ/未開へ』は、観客をより困難な状況に置いた。

東京からのゲストは、身体的、心理的忍耐力の限界を試す、そのラディカルにして野蛮でさえある「身体の演劇」において評を得ている。「解体社」とは文字通り「解体の演劇」を意味する。観客が80分間に見るものは、まさに解体されているのである。

身体における攻撃性は、常に隠されながらもあからさまに表現されているが、精神的衝撃や憔悴に比べるとそれほど表面には出て来ない。ミニマリスティックな、時にほとんど微妙な身体言語によって、最高度の集中力を要求しながら、演出家の清水信臣はこの世界の真に恐るべき光景を描き出す。

清水は、人類の混乱した状況のメタファーとして、ショッキングな大音響の戦争ヴィデオを繰り返し混ぜ合わせる。舞台ではマルスのヘルメットを被った女性—戦争のアレゴリーが犠牲者たちの間を廻っている。犠牲者たちは半裸で、包帯を巻かれ、手錠でつながれ、肉体的にも精神的にも憔悴している。動物のように彼・彼女らは四つ足で前進する。ようやく生き残った者たちが住む世界。厳しく、孤独で、感情もなく、自己破壊的である。「感情を押し殺せ。己の法を成せ。己の思考を検閲せよ。己を偽れ。新しき奴隷となれ。」錯乱した世界のシニカルなメッセージは、現代の黙示録である。




Hamburger Abendblattd紙 (3/Sept. 2001)