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観客が「観られる側」になるとき

内野 儀


"演劇は、社会的、政治的と同時に美的な、容易に解決または回答を出すことのできない問題を提示する公的なフォーラムであり、そこから観客は様々な相容れない思いを抱いて帰るのだ” と言ったのは、旧東ドイツの劇作家/演出家の故ハイナ―・ミュラーである。つまり、彼のいう演劇は、社会的、政治的、または芸術的に(であれ、何であれ)観客を挑発するべきものである。それは、彼の作品である「ハムレット・マシーン」のテキストにも現れている。

ハイナ―・ミュラーのような演劇では、アーチストは常に彼らの周辺の出来事、つまり社会的、政治的、文化的環境に敏感であるべきで、彼らの演劇の表現はこれらと何らかの関わりがあるべきなのである。このことによって、彼らの作品は観客にとって、美的な体験以上の意味を持つようになる。

しかし、後期資本主義のポストモダンの文化では、このハイナ―・ミュラーのブレヒト的な演劇の概念をたやすく捨て去ることもできるだろう。(もしわれわれがベケットの後期の劇で予見したように、"悲劇の死”ではなく、"演劇の死”を考えたとしたら。)もしそうであるなら、ここから新しいかたちの演劇について語ることもできるだろう。それは、もはや演劇とは呼べないものなのかもしれない。

1990年代の日本ほど、ハイナ―・ミュラーの演劇の概念がたやすく、しかも劇的に葬り去られてしまったところは、他にはない。いや、もっと正確に言うと、望むべくしてアーチストと観客の両方から忘れ去られたのだ。それは、ベケットのような未来に対する深淵な哲学的考察の結果でもないし、日本のアーチストが、伝統的で、歴史的に分類可能な、系譜の明確な演劇から離脱した結果でもないのである。

それはただ単に、日本の演劇があまりにも容易で、アマチュア的で、幼児的で、時代遅れなために、世界で今起こっていることへのアクチュアルな根拠にもとづく関係性を失ってしまったからである。そのかわりに得たのは、今までにないくらい娯楽色の強い演劇である。まるで、それだけがこのポストモダンの世界で演劇の生き延びるただ一つの方法であるかのように。

しかし、世の中に例外は常にある。この国では、このような例外が表面に出るまで、耐え難いほどの長い時間が必要なのだ。われわれが、ハイナ―・ミュラーの演劇の概念に取り組んでいるアーチストの存在に気付くことができたのは、たぶん、阪神大震災やオウム真理教の事件のような悲劇があったためである。

劇団解体社(Theater of Deconstruction)はこのような例外である。この劇団は10年以上も前から活動しているが、以前は風変わりな実験的演劇をする劇団で、その急進的な舞台は観客の手に負えないと受け取られていた。

しかし、日々テレビで流されるサラエボや中東、そして阪神大震災の映像を見続けていると、解体社の演出家である清水信臣は、社会の出来事に非常に敏感に反応し、それを演劇的に思考しようとしていたのだと気付くことになる。
"イメージの演劇” という名がもっともふさわしい解体社の舞台が提示するのは、生き残る望みのない彷徨える人々といった荒廃したイメージ、どこかにあるかもしれないユートピアなど想像することもできない人々のイメージだ。ある男は、ひとりの女にコミュニケーションを求めるが、かなわず、暴力に訴える。上演のほとんどは、無言で行われる。かれらは言葉で "表現”することは許されていないのだ。そのかわり、かれらは体を世界と観客に晒す。それは、まさにわれわれが置かれている状況そのもののようである。われわれは見ていると思っている。しかし、現実にはわれわれは見られているのである。

解体社の演劇は、音楽、ダンス、映像、そして演劇のマルチメディアのイベントである。(このような傾向の中に、ロバート・ウィルソン、ピナ・バウシュ、ウィリアム・フォーサイス、タデウシュ・カントールなどの一流のアーチストの影響が見られる)

しかし、それは、われわれのポストモダン性を祝福するものではなく、演劇という表現を使って効果的に問題を提起するものなのである。だから、われわれは、かれらの舞台を見た後に、何らかのカタルシスを体験することはできない。やはり、ハイナ―・ミュラーが言うように、"問題は効果的に提起される。しかし、容易に解決することはなく、われわれは、われわれの間だけでなく、自分自身の中でも相容れない様々な思いを抱される” のである。

解体社の新しい舞台は先週の金曜から始まり、今月いっぱい週末に上演される。タイトルは "TOKYO GHETTO Ⅲ”。昨年からシリーズとして上演されている作品の三作目である。挑発されたければ、本郷DOKにいくべきである。解体社はそこで、鮮烈で居心地の悪いイメージを作り出している。





朝日イブニングニュース (1996年3月7日)