The Dream Regime project was first realised at Chapter Arts Centre, Cardiff in 2004. Assembled were over 30 artists, academics and guest from countries including East Timor, Indonesia, Spain, USA, England, Japan, Korea, Australia, Germany. The project had some significance in dealing with the question of translation and language: how a spoken gesture can become a performed gesture, a physical action, a remembered action, and perhaps how this can relate to shared and different histories. Initially the project had set-out to consider the hidden histories of cultural diversity within an era of globalisation. As the project evolved, through residencies at further centres in countries including Poland, Germany, Jordon, East Timor, Brazil, it was quite quickly established that globalisation exists everywhere and in each local context are histories which pertain to questions of migration, as well as those more unresolved issues of the marginalised, the oppressed and those who exist as or are made to become invisible. So perhaps Dream Regime has in its own way become a process of learning: from different people across the globe, an effort at dialogue, to listen. I sincerely hope such efforts may continue and that it also can resolve in some way a history reflected from Japan, a moving image in which I hope the Dream Regime can be repeatedly seen with a particular resonance, towards a continually renewing, calming silence of hope.
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James Tyson, Theatre Programmer, Chapter Arts Centre, Cardiff (Wales, UK)


ドリームレジーム・プロジェクトが最初に現実のものとなったのは、2004年のカーディフのチャプター・アートセンターでのことだった。そこに集まったのは、東ティモール、インドネシア、スペイン、アメリカ,イングランド、日本、韓国、オーストラリア、ドイツなどの国々から30人あまりのアーティスト、アカデミシャン、ゲストたちである。このプロジェクトの意義は、ひとつには、翻訳と言葉の問題をあつかったことにあり、そこでは、言葉で伝えられた身ぶりが、いかにして、行為された身ぶり、身体的行為、想起的行為になるのかが問われ、そして、ことによると、この作業がいかにして共有のそして異なる歴史と繋がりうるのかが問われたのかもしれない。このプロジェクトの開始点は、グローバリゼーションの時代の文化的多様性にあって、覆いかくされてしまっている歴史を考察することにあった。同プロジェクトが、ポーランド、ドイツ、ヨルダン、東ティモール、ブラジルなどの国々での滞在を経てさらなる展開をとげてゆくなか、かなり早い段階で証明されたことがある。それは、グローバリゼーションはあらゆる場所にあるのだが、ローカルな文脈においては、移住の問題にかかわる歴史(ヒストリーズ)こそがグローバリゼーションであり、周縁化された人びと、抑圧された人びと、見えないものとして──あるいは強制的に不可視のものとされて─存在している人びとという、さらに未解決の問題に関係する歴史(ヒストリーズ)こそが、グローバリゼーションに他ならない、ということだ。ということは、ドリーム・レジームとは、その独自の方法において、学びのプロセスそのものだったのかもしれない。それは、地球(グローブ)の上の相異なる人々から学ぶプロセスであり、対話して耳を傾けるこころみなのである。私はこのようなこころみが継続することを心から希望するものであり、そして、日本から映しだされた歴史、という揺れ動くイメージの内部で、ドリーム・レジームが独特な反響を伴いながら繰りかえし目撃されることを私は願うのだが、このイメージが、絶えず再生する希望、穏やかな希望、無言の希望へと、何らかのかたちで分析=分解されることも、同じく心から希望している。

ジェイムズ・タイソン( チャプター・アートセンター/演劇部門プログラム責任者)