舞台は両劇団の最新作、テアトル・シネマの『Hotel Dieu』(ホテル・デュ=神)と、解体社の『最終生活Ⅳ』をベースに構成されてゆくでしょう。そして両作品にそれぞれ互いの劇団のパフォーマーたちが混じり合い越境しながら、それらプロセスのあらゆるシーンで「人間以後」が審問に付されていくのです。

ホテル・デュ(神)

演出・原案/ズビグニェフ・シュムスキ

これらの「部屋」は宿泊客たちを待っている。そこには「不安」がすみずみまで潜んでいる。いや、違う。そこは守られているのだ。「不安」は守られるのか?

そう、「不安」は守られる。この空間の中で、「不安」は守られ、「部屋」は安全という感覚をすっかり遮断する。

人々は、このスペースは放置された兵舎で成り立っていると想像し、そこに住みつこうとする。これこそ、日々の出来事や身振りが軍事教練に似ている理由の一つだ。もし、生のエネルギーが変動を意味するならば、ここでのエネルギーは消耗を意味する。

〈気をつけ〉の姿勢のまま不動で立っていることは、自由で制約のない場所に向かう最も激しい行軍と同じくらい多大の努力を要することなのだ。

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飼い慣らされることなく住みつく。するとここでは「不安」さえも精彩なく澱む。

この「不安」は宿泊客たちが現れるずっとまえからここにあった。客たちは「不安」が付加されている場所を避けながら、存在しない家具の間ではなく、小さな道に沿って動く。動くためにただ狭い小道のみが選ばれる。そのようなやり方で構成された空間は、過去を聞くための、そして現在を感じるための、そして未来の地図を洞察するための思想的な場所のように見える。

訪問する者は住んでいる者よりも優位である。

彼らの喜びや戒めは、軍事訓練に明けくれる住民たちの暮らしに比するものではない。

Performers

[音楽構成]
マチェイ・カジンスキ、ズビグニェフ・シュムスキ(カロル・シマノフスキ作品による)

[出演/テアトル・シネマ]
マウゴジャタ・ヴァラス=アントニェロ、モニカ・スチュシェルチク、パヴェウ・アダムスキ、ヤン・コハノフスキ、タデウシュ・ルィビツキ

[解体社]
熊本賢治郎 中嶋みゆき 石井康二
矢部久美子
杉浦千鶴子[ラドママプロデュース]
土本伊梨安(映像出演)
赤岩和美(映像撮影協力)

[歌]
マリア・スキバ(ソプラノ)

[演奏]
フランク・プシフホルツ
マチェイ・カジンスキ

[舞台美術]
カタジナ・ロトキェヴィチ=シュムスカ

最終生活 Ⅳ

構成・演出/清水信臣

—俺でもいいが、誰でもいい—

「ありふれてしまったことが私たちを冷笑家にさせてしまった。しかし、それはありふれてしまっていることに向けられたのではなく、このようなことになす術がないことに対しての自身に向ける冷笑なのだ。」

 おれ が やること が すべてだ
お前が何をするのか、それはお前が決めればいい。
お前の問いは、お前が見つければいい。
おれ が 神だ
誰も答えられないなら、お前が答えてもいい。
お前の問いに、お前が答えてもいい。
おれ も 自分を おわりに したい

誰が俺を決めるのか。何によって俺は決められるのか。今のこの俺が俺であると誰が、そう言うのか。俺は俺自身によって俺を規定することが許されていない。俺には俺を規定する権限はない。では、誰がそのような規定を定めるのか、誰が俺は俺であると決めるのか。
お前は違う。
俺を否認するのは、俺以外である。

お前らは結局、殺されないとでも思っているから、そんなふうにいられるんだ。
否認されないことを知っているから、そんなふうにしていられるんだ。
結局は、結局は、死んでしまったとしても、自分には関係ないことを知っているんだ。
死ぬときは、殺されるときは、それはお前だけにしか関係ないことを、お前は知らない。

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俺以外のモノである。
俺以外が俺を決めていく。俺が想い描く俺は俺ではないとされていく。俺は既に終わりにされている。俺の外縁は俺以外によって象られて、俺だとされている。俺は縁に立って、俺ではないと、俺の外縁に押しつぶされそうになりながら耐えている。
宇宙がその内面から観察され、想像されるように、俺もまた、自身を内側から夢見た。そこには果てもなく、何者でもないかのように、俺はあるのだ。俺の外部などはどこにもない。あるのはただ、無限に広がる俺だけなのだ。俺が俺を承認するとき、それはそこにある俺ではないのだ。
俺は俺の外側から俺を承認する。その姿を俺とする。


・・・・・承認
友人からの承認
社会からの承認
国家からの承認
法からの承認
世界からの承認
俺は宣言するだろう。世界中に繋がるネットワークを介して、俺の宣言は、俺の元に届く。そのとき、あらゆる場所を通過した宣言となり、俺は受け止める。
「おれは神だ。」
「おれがやることがすべてだ」
「おれも自分をおわらせたい」
このとき、俺は終わったのだ。俺は俺ではないというまま俺になったのだ。

佐々木治己
『最終生活のためのテキスト』より

Performers

[出演/解体社]
熊本賢治郎 日野昼子 中嶋みゆき
青田玲子 Jonathan Giles Garner 
石井康二 本間良治 矢部久美子
入江平 丹羽菜生
[ゲスト]
山田 零  (錦鯉タッタ)
杉浦千鶴子 (ラドママプロデュース) 

[テアトル・シネマ] 
マウゴジャタ・ヴァラス=アントニェロ、モニカ・スチュシェルチク、パヴェウ・アダムスキ、ヤン・コハノフスキ、タデウシュ・ルィビツキ

Staff

舞台監督/佐藤一茂
照明/河合直樹+(有)アンビル
音楽・音響/落合敏行
振付/日野昼子
テクスト/佐々木治己
技術協力/三津久
映像/鈴木宏侑 大杉大輔
撮影/宮内勝(写真) 遠藤司(映像)
宣伝美術/井原宏臣 
制作協力/樫村千佳  
制作/佐々木治己 大谷将 解体社制作部
 カタジナ・ロトキェヴィチ=シュムスカ

●通訳・翻訳/久山宏一

●主催  劇団解体社 テアトル・シネマ

●助成  公益財団法人 セゾン文化財団
      I,CULTURE
      POLSKA PREZYDENCJA-
      2011PROMESA
      Adam Mickiewicz Institute

●共催  伊丹アイホール

●後援  ポーランド文化・国家遺産省

●協力  ポーランド大使館
     日本演出者協会