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「動かない」ことは可能か?

─解体社とともに思考する─

内野 儀



 そこら中で「大震災以降の〈日本〉」という主題が氾濫している。雑誌メディアからソーシャルメディアまで、そのうち誰かが統計を出すかもしれないが、〈3・11〉以降、膨大な量の情報や意見や提案や反論や〈新たな〉構想や暴論や呟き等々が蓄積することになっている。さらにそこに福島の原発事故が加わり、あたかも我先に「何か言わなければ」と誰しもが思っているかのようだったのである。さらに言えば、近年の数ある世界史的切断事象のなかでも、今回の一連の出来事が〈Jという場所〉にもたらした事態の新たな特徴と言えるのは、「動かないではいられない」という内側からの/外側から加わる〈力〉ではなかっただろうか。「今」こそ動かないでどうする、というわけだ。そして実際、多くの人々が「動いた」─ないしは「動かされた」─ことは周知の事実であろう。

 ひるがえってわたしはいったい何をしていたのか?浅田彰風にいえば、「昼寝をしていた」ということになろう。いや、わたしは浅田ほどの〈確信〉がないので、「白昼夢を見ていた」、あるいは「昼寝をしようともがいていた」というほうが正しいかもしれない。「動かされない」という理性的意志はあったものの、あれこれと思考や感情が脳裏を駆け巡り、「失語症」的症状を呈しつつも、鬱々としつつも、日々、「わたしでなくてもできるかもしれない、けれども……」と考えられる受動性の局地のような構えをなるべく貫くように心がけ、こなさなければならないタスクだけをこなすという日々を送ることになっていたのである。

 「動くこと」による思考停止。〈Jという場所〉を襲った事態はそう名指しておける。膨大な量の「わたし〈こそ〉わかっている!」という言説は、「動かずにはいられない」舞台芸術の上演空間をも巻き込みながら、「何かが変わる」と「何も変わらない」のきわめて単純な二元論的振幅の中で、空虚な経験をわたしに強いていた。だからこそ、意志的に〈昼寝〉をする必要があったのである。2011年11月の解体社の公演で、わたしの思考が〈惰眠〉から醒まされるまでは。

 ポストヒューマン・シアターと題されたポーランドのテアトル・シネマと解体社のコラボレーションプロジェクトは、実質的には2つの異なる上演から構成されていた。『ホテル・デュ』(ズブゲニェフ・シュムスキ演出・原案)と『最終生活Ⅳ』(清水信臣構成・演出)である。とはいえ、確かにパフォーマーは混成ではあったものの、基本的にはテアトル・シネマと解体社の2つの別の作品を続けて見るという感が強かった。

 ただし、コラボレーションという呼び方に問題があるというのではない。重要なことは、このまったく異なる文脈にあると誰もが想定できる二つの集団と上演が、違和感なく続けて見られたという単純な事実である。わたしの個人的な教養や感性(あるいは「趣味」)のことを言っているのではない。ここでは明らかに演劇的上演を立ち上げるための共通の原理が働いており(それは、またしても浅田彰だが、彼ならば〈モダニズム〉と呼ぶものだろう)、したがって、相互のパフォーマーが交換可能であったばかりか、同じ地平で二つの上演を経験し、かつ考えることがどの観客にも可能だったはずなのである。その原理を俳優の身体とその扱い方、さらには上演の論理と倫理であると言ってしまうと、あまりに茫漠としているが、要するに、俳優の身体の存在性(身体があってしまうこと)に基盤を置きつつも(=ポストヒューマンという身体性)、そこに開き直ることなく、作家的思考とそのヴィジョンを構成する〈装置〉/〈概念〉として、その身体とそれができることを考えるということである。さらに、鴻英良風にいえば、「現実に応答する」ためだけに、これらの上演は構想され、実行されるという強固な倫理意識までもが、両者に前提され、かつ共有されていたように感じられたことも大きい。創造的なコラボレーションと呼べる本上演であったが、わたし個人にとっては、解体社の『最終生活Ⅳ』により大きな刺激を受けることになったのは、文脈上致し方ないことだろうか。何しろ〈昼寝〉の最中であったのだから。

 これまでの清水信臣の作業を知るものであれば誰でも、「震災」や「原発」で明らかになったとされた事柄の多くを、より構造的にかつ原理的に清水が既にして思考し、上演へと翻訳しつづけてきたことを理解している。とするなら、本作品で清水はあえてまったく異なる主題に取り組むか、「それ見たことか」と「はしゃぐ」(あくまで比喩的ではあるが)かのどちらかになることが想像できた。ところが、予想外にというべきか、そのどちらでもなかったのである。つまり、その方法論やヴィジョンはこれまでと比して何の変更はなく、ただ淡々とこれまでの延長線上に『最終生活Ⅳ』は位置づけられいたのである。

 もちろん、「現実に応答」しているのだから、選ばれたマテリアルは、より「震災後」「原発後」的色彩が強い。その端的な例は、杉浦千鶴子が携帯電話を使った会話という方法で語ってゆくNHK「東海村取材班」による『朽ちていった命――被爆治療83日の記録』(新潮文庫、2011年)からの引用である。被爆すると何が起きるのかについての残酷なまでのあからさまな身体への影響を語るこの部分は、携帯電話ごしという距離の明示化によって、「現実」にあふれかえるパトス的・想像的同一化やそこから導き出されるメロドラマ的韜晦とはまったく無縁に、被爆による身体の崩壊という事実を、被爆者個人の一人称のかたちでヴィヴィッドに伝えるものであった。

 同じ「現実への応答」でも、この上演でもっとも衝撃的だったのは、どうやら「カダフィ・ダンス」と呼ばれていたらしい熱狂的ダンスの場面である。ここでは、『カダフィの真実を知って欲しい リビア 新世界秩序 NATO』からの引用が字幕で表示され、リビアで権力を掌握した当時のカダフィのユートピア主義的思想――ムスリムの世俗化と社会主義的理念の合体による真の民衆社会/平等社会の実現――を観客は知ることになる。そして、その前では、パフォーマー全員が延々と熱狂的に、無秩序なしかし反復的でもあるダンスを踊りつづけるのである。彼/女たちは、「アラブの春」を言祝ぐ民衆か?それとも、かつて、ユートピアの到来を信じたリビアの人々なのか?あるいは、また、「震災後」や「原発」に〈踊らされる〉わたしたち自身か?

 こうしてわたしたちは、「震災後」や「原発」に文字通り〈踊らされる〉あいだに、「世界=現実」に起きていることをすっかり忘却していたことを想起させられるばかりか、この二つの「世界=現実」がけっして二つではないことを思い知るのである。より正確にいえば、わたしが思い知ったのである。

 こうしてわたしは無理矢理な〈昼寝〉から〈覚醒〉することになった。それはまた、未来に希望を抱いたり、現実に絶望したりという安易な感情に身をゆだねて、「動いてしまう」/「動かないままでいる」という二者択一とはまったく別に、これまで同様、解体社とともにこれからも思考をつづけるべきだという、それはそれで肯定的な静かな納得へと、わたしを導いてくれたのである。



(演劇批評家)